並の歌手ならこの時点で、いやそれ以前にとっくに引退していたことだろう。しかし、明菜は翌2000年5月の2年ぶりのツアーを東京・青山劇場でスタートさせるに際し、ファンを前に「100万枚を売って(引退勧告をした人たちを)見返してやりたい」と再起を誓った。その前月には新たな事務所に所属しており、さらにデビュー20周年を迎えた2002年にはレコード会社のユニバーサルミュージックと契約を結ぶ。
本意ではなかったが…カバーアルバムをリリースした背景
再出発にあたっての最初のリリースはオリジナルアルバムではなく、1994年にリリースして好評だった『歌姫』に続くカバーアルバム『ZERO album~歌姫2』(2002年)となった。一刻も早くオリジナルで勝負したかった彼女としてはけっして本意ではなかったらしい。
しかし、かつて歌番組に出てもいつも人の曲に合わせて歌ってしまう彼女をよく知るスタッフから、「ゆっくりいこう。ひと呼吸置こう」とまずカバーアルバムをつくることをアドバイスされたという。《今は、やってよかった。昔は、人の言うことを聞かないで成功しましたが、人の言うことも、たまには聞くもんだと実感しましたよ(笑)》とリリースに際し彼女は語っている(『COSMOPOLITAN』2002年7月号)。
断続的な空白期間を経て、本格的に活動再開へ
2006年には黒木瞳と共演した『プリマダム』(日本テレビ系)で久々にドラマ出演もしている。しかし、心身の状態は必ずしも安定せず、2010年には体調不良により芸能活動を休止する。その後、2014年の紅白歌合戦にサプライズゲストとして出演、ニューヨークのレコーディングスタジオから生中継で歌唱を披露し、復帰を果たすと、アルバム制作の一方で2016年と2017年にディナーショーを成功させるも、2018年から再び表舞台から遠ざかった。それが、ついに昨年より活動を本格的に始動させている。
明菜が何度となく波瀾に見舞われながらも、ここまで歌手を続けてこられたモチベーションはどこにあるのか? 彼女に言わせると、それは「歌を聴いてくれる相手がいること」ということになる。
1996年のインタビューでは、《一人で歌っていて気持ちいいとか、そういうのはない、思ったことない。レコーディングの時も、歌の中の感情と、あとは聴いてくれている人のことを想像しながら歌っています》と語った上、次のように続けた。

