2000年代に大ブレイクした桜塚やっくんの突然の訃報。ヤフーニュースの見出し、鳴り止まない電話、心ない憶測──。元相方・竹内幸輔は、何を思い、どう向き合ったのか。悲しみと混乱の渦中で起きた“やっくん喪失後”のリアルとは?

 お笑いコンビ飛石連休の藤井ペイジ氏の新刊『芸人廃業 ダウンタウンになれなかった者たちの航海と後悔』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む

2013年、やっくんが亡くなったあとに起きた異変とは?(画像:時事通信社)

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解散して1年でやっくんが「大ブレイク」

――すごく真っ当でちゃんとしたマネージャーさんだなあ。だって芸能事務所もビジネスだから。仕事が取れてる芸人だったら、事務所にとっても売り上げがあるから解散を止めるのが普通じゃない。あまり大きくない事務所なら尚更そうで。「あと1年やる」って本人が言ってるのなら「やってる間に気が変わって解散撤回してくれるかも」って考えて、続けさせるマネージャーもいると思う。

竹内 そのときはめちゃくちゃムカつきましたよ。でも、よくよく考えたら、僕らのその枠があったら事務所としては若手に譲りたいですよね。まだまだ売れたい、続けたい、向上心のある芸人がいっぱいいるんですから。事務所の未来を考えたらそっちが普通ですよね。

――その解散が2005年の4月でしょ。そのころはもう、 竹内君は声優の仕事が結構あったわけだから、自然とシフトできた。

竹内 正直、最初から食うには困らなかったです。解散後はそれまでの所属事務所を退所して個人事務所にしましたし。そこで1年ぐらい頑張ってたころですかね。やっくんの大ブレイクですよ。

――やっくんがピン芸人になってから早かったよね。2005年に解散して、2006年には「エンタの神様」に「スケバン恐子」のキャラで出て大ブレイク。

竹内 早かったですよね。びっくりしました。

――コンビ解散してピンでイチからやるってなったら、普通は世に出るのに時間がかかるからね。

竹内 しかも解散してからは仲良くなってたので。一緒に飲みに行ったり遊びに行ったりしてたんですよ。

 それが気づいたら大ブレイクしてて。なんだったらやっくん、俺に「税金の計算やってくれ」って言ってきたんですよ。「タケ、個人事務所やってるし計算も得意だろ?」って。「ふざけんな!」ですよね? まあ、やりましたけど。

――ははは! やったんだ。

竹内 もちろん金額は言えないですけど、腰抜かすほどでした。

――やっぱりやっくんが売れたときは、ちょっとモヤモヤがあった? 嬉しい半分、妬み半分みたいな。