中森明菜にとって歌は「演じるもの」

 明菜は自身の歌への心構えについて《私、小さい頃から、歌は「演じるもの」だと思っていました。その気持ちはデビュー以来、ずっと変わっていません。歌は3分間のドラマだから、私は歌に出てくる主人公を演じ切らなきゃいけないんだって》と語っている(『SAY』2003年7月号)。しかしこのときは歌手活動ができなかった分、その思いをドラマにぶつけたのだろうか。

自殺未遂後の復帰会見での中森明菜〔1989年〕 ©文藝春秋

『素顔のままで』の劇中で明菜はずっとダミ声だったため、酒の飲み過ぎ、いやタバコの吸い過ぎではないかともささやかれた。しかし、ドラマの打ち上げでは打って変わって、会場が静まりかえるほど見事な歌声を披露したと伝えられる。

 ドラマにはその後もたびたび出演している。1993年のクリスマスに放送された単発ドラマ『瞳に星な女たち』(日本テレビ系)では同じく『スター誕生!』出身の同期である小泉今日子と初共演し、話題を呼んだ。1998年には連続ドラマ『冷たい月』(読売テレビ・日本テレビ系)で、復讐心をたぎらせる女性役を永作博美相手に熱演している。

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中森明菜〔1994年撮影〕 ©文藝春秋

レコード会社社長からの引退勧告

 さらに1999年、『ボーダー 犯罪心理捜査ファイル』(日本テレビ系)に警視庁に派遣されたプロファイラー役で主演するも、急病でドクターストップがかかったとの理由により放送回数の短縮を余儀なくされる。

 この間、たびたび雑誌の取材に応え、あいつぐトラブルにすっかり人間不信に陥ったと告白している。それでも、1994年12月には3年5ヵ月ぶりにコンサートを開催し、かつての恋人・近藤真彦がこの年結婚したことにも祝意を示し、《今、私の気持ちの中には尾を引いているものは何もありません。未練なんて……。女性週刊誌などは、おもしろおかしく私の心理を書いてくれてますけどね》と、彼との破局以来やむことのなかったメディアからのバッシングにやんわりと皮肉も口にしている(『マルコポーロ』1995年1月号)。

中森明菜〔1994年撮影〕 ©文藝春秋

 しかし、『ボーダー』の事実上の打ち切りを受けてまたぞろバッシング報道が噴出し、1999年にはビクターから移っていたレコード会社・ガウスの社長が彼女のわがままぶりを糾弾したうえ、引退を勧告する事態にまでいたる。