中森明菜が表舞台から姿を消して5年あまりが経つ。デビュー40周年を迎えた昨年、ついに長い沈黙を破り、公式サイトにて「何がみんなにとっての正義なんだろう?」とファンに語りかけた。歌手人生のあらたな扉を開こうとする彼女は、いま何を思うのか。
ここでは、ノンフィクション作家・西﨑伸彦氏による『中森明菜 消えた歌姫』(文藝春秋)を一部抜粋して紹介する。「扱いにくい」と評された、新人アイドル時代――関係者への丹念な取材によって浮かび上がるのは「孤独な歌姫」の素顔だった。(全2回の2回目/最初から読む)
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ベストテンの現場に飛び交う怒号
遠藤(※)が関わった放送回では、愛知県でコンサートを終えた明菜が、タクシーで帰京する途中、静岡放送の玄関前でベストテンの生放送に出演し、「少女A」を唄ったこともあった。タクシーが到着し、降車した途端にイントロが流れるドンピシャのタイミングだったことから、のちにこの場面が、当時人気だったバラエティ番組「オレたちひょうきん族」の「ひょうきんベストテン」のコーナーで、ヤラセを想起させるパロディとして取り上げられた。だが、実際の現場は混乱の極みだったという。
※編集部注:「ザ・ベストテン」でディレクターを務めた元TBS社員の遠藤環氏
「現場では、『まだ来ねぇのかよ』『もうランキング始まっちゃったよ』と怒号が飛び交う、切迫した状況でした。次の日に東京で仕事があるとのことでしたが、彼女が『どうしてもベストテンにも出たい』と言うのでこちらで時間を計算したら、東名高速を静岡インターで下りて、そのままSBS(静岡放送)に来て貰えば間に合うんじゃないかということで設定したのです。結果的にジャストのタイミングでタクシーが滑り込んで来て、彼女がタクシーを降りた瞬間にオケが鳴って歌に入った。正直、こんなことってあるのかと思いましたね」
明菜の歌唱中は名古屋から来た臨場感を出すために、次々と指示が飛んだ。カメラはタクシーの4万円近い料金メーターに切り替わり、さらにイヤホンから音の返しが聴こえず、耳を押さえてイラっとする明菜の表情や、現場マネージャーが急いで荷物を自家用車に積み替えている姿も映り込んだ。そして唄い終わった瞬間に後部座席に明菜を乗せたクルマは東京へと走り去って行った。