中森明菜が表舞台から姿を消して5年あまりが経つ。デビュー40周年を迎えた昨年、ついに長い沈黙を破り、公式サイトにて「何がみんなにとっての正義なんだろう?」とファンに語りかけた。歌手人生のあらたな扉を開こうとする彼女は、いま何を思うのか。

 ここでは、ノンフィクション作家・西﨑伸彦氏による『中森明菜 消えた歌姫』(文藝春秋)を一部抜粋して紹介する。人気音楽番組「ザ・ベストテン」のディレクターが「歴史に残る回になった」と興奮した、中森明菜の名場面とは?(全2回の1回目/続きを読む

若き日の中森明菜 ©文藝春秋

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「明菜は1日3000万円稼ぐ」

 当時の明菜は、シングル曲を出せば50万枚を超えるセールスを期待される存在になっており、「禁区」も約51万枚を売り上げた。デビュー2年目の83年はレコードの売り上げだけで67億円という数字を叩き出し、ワーナーの幹部のなかには、「明菜は1日3000万円稼ぐ」と公言する者もいた。

 83年は、細川たかしの「矢切の渡し」や大川栄策の「さざんかの宿」、佳山明生の「氷雨」など演歌勢のヒットが続いたが、明菜は年間ベストテンに「1/2の神話」と「禁区」の2曲がランクイン。初登場からわずか1年半で、「ザ・ベストテン」の“顔”として不動の地位を築いた。

 その時の「ザ・ベストテン豪華版」(12月29日放送)では、紅白のリハーサルで足に怪我を負った明菜が登場。当初はトークだけの出演予定だったが、番組側からの説得で、急遽「1/2の神話」を唄った。元番組ディレクターの遠藤氏が語る。

「1/2の神話」(1983年)

ディレクターが「奇跡だ」と語った瞬間

「生放送中に、ソファの隅っこに座る彼女の隣で、(プロデューサーの)山田さんが必死に説得している姿が画面の端に映り込んでいました。もちろんVTRも用意していたのですが、番組的には年間ベストテンに2曲も入っているのに本人が1曲も唄わないというのはかなり厳しい状況と言わざるを得ません。

 そこで山田さんが『唄っちゃおうよ』とずっと粘った末に、ギリギリのところで彼女から『唄います』というひと言を引き出したのです。あの子は1度言い出したら聞かないと誰もが思っていたので、みんな『凄い』と驚いていましたが、その熱意に応える真っ直ぐなところも、また彼女の一面なのです。

 以前に『セカンド・ラブ』で出演した際には、風邪で喉を痛め、声が出にくいなかで、苦し気な表情で唄い切り、最後は満足のいかない歌唱に涙をポロポロ零したこともあった。その時は担当のディレクターが『奇跡だ。最後の場面だけで今日は救われた。歴史に残る回になった』と興奮気味に語っていたことを覚えています」