中森明菜が表舞台から姿を消して5年あまりが経つ。デビュー40周年を迎えた昨年、ついに長い沈黙を破り、公式サイトにて「何がみんなにとっての正義なんだろう?」とファンに語りかけた。歌手人生のあらたな扉を開こうとする彼女は、いま何を思うのか。
ここでは、ノンフィクション作家・西﨑伸彦氏による『中森明菜 消えた歌姫』(文藝春秋)を一部抜粋して紹介する。自殺未遂の後、再起を模索するなかでさらなる孤独感を募らせていた中森明菜。当時、インタビューで語っていた「またダマされるんじゃないかって」という言葉の真意は?(全2回の2回目/最初から読む)
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撮影現場でトイレに籠もりきり
92年の明菜は、ニューヨークに拠点を置き、大半の時間を現地で過ごした。出費は嵩んだが、異国の地で、日本ほど人目を気にしないで済む生活に解放感を感じてもいたのだろう。しかし、肝心の仕事の方は、決して順風満帆とは言い難い状況だった。
92年4月、明菜は安田成美とのダブル主演で、女性同士の友情を描いたドラマ「素顔のままで」(フジテレビ系)に出演。初の連ドラ出演ながら、平均視聴率26.4%と高視聴率を叩き出し、演技力も高い評価を受けた。
ただ、当時の明菜には、時に明らかな変調が現れることがあった。栃内(※)が明かす。
※栃内克彦:ビクターの元社員で、中森明菜がかつて所属していた事務所「コンティニュー」の元社長。
「明菜が楽屋からまったく出て来なくなり、共演の安田成美さんも困惑していました。一報を受けて私がスタジオに駆け付けると、今度はトイレに籠もって出て来なくなったのです。ようやく出て来たかと思ったら、目は真っ赤で、何度も嘔吐し、フラフラの状態になっていました」
周囲が感じていた“異変”
その数カ月後、明菜はフジテレビの新春ドラマ「サンテミリオン殺人事件」の撮影で、フランスのロケに参加している。「夜のヒットスタジオ」の元プロデューサー、渡邉光男がドラマの担当だったことから、本人も意欲を見せていたが、滞在先のパリでも、トイレに籠もり、丸1日出てこないことがあったという。
心身のバランスが崩れ、身体が悲鳴を上げているかのような異変。日本の芸能メディアは、明菜が再び自殺未遂を図ったと騒ぎ立てた。
明菜の周辺は必死に“異変”を隠し、彼女を庇ったが、本人が遅々として進まない歌手活動の再開にジレンマを感じていたことは確かだった。