中森明菜が表舞台から姿を消して5年あまりが経つ。デビュー40周年を迎えた昨年、ついに長い沈黙を破り、公式サイトにて「何がみんなにとっての正義なんだろう?」とファンに語りかけた。歌手人生のあらたな扉を開こうとする彼女は、いま何を思うのか。
ここでは、ノンフィクション作家・西﨑伸彦氏による『中森明菜 消えた歌姫』(文藝春秋)より、ヒット曲「少女A」の誕生秘話を抜粋して紹介する。中森明菜はなぜこの曲を「絶対に唄いたくない」と拒んだのか?(全2回の1回目/続きを読む)
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「中森明菜という新人アイドルがデビューして、いまアルバム制作の準備中です。曲を集めていますから、書いてみたらどうですか?」
その頃、まだ駆け出しだった売野雅勇は、あるミュージシャンのマネージャーから、こんな仕事の依頼を貰った。コピーライターから作詞家に転じた売野が、チェッカーズの一連のヒット曲で一躍売れっ子の仲間入りを果たす“前夜”の話だ。
当時の彼は、まだアイドルに楽曲を提供したことがなく、どちらかと言えば大人がやる仕事ではないと軽蔑に近い感情を抱いていたという。
「そうは言っても書き方も分からないし、締め切りも迫ってくる。ストックと言えるものは、沢田研二に書いてボツになった一曲だけ。男性がプールサイドで10代の女の子を口説こうとしている設定の『ロリータ』という曲でした。僕はこの視点を逆にして、主人公を入れ替え、女性の目線にしたら書けるかもしれないと閃いたのです」
頭に浮かんだ「少女A」
売野の作詞スタイルの基本は、まずタイトルを決め、全体像を掴むことから始まる。今回は、アイドルが唄ってもカッコ悪くないもので、聴く者を驚かせ、反社会性があるようなもの……。
頭に浮かんだのは、未成年の犯罪者を表す「少女A」というタイトルだった。
「あとは詞の世界に見合った言葉をどう選んでいくか。歌本を見て研究しましたが、参考にはなりませんでした。ただ、唯一、阿木燿子さんが山口百恵に書いた詞は、骨格がしっかりしていて、言葉選びのセンスに凄く才能を感じました。自分の詞の世界を描くための、ひと揃えの言葉を、辞書として自分の中に持っている。そして、啖呵を切るような捨て台詞が必ず一つは入り、それが歌謡曲としてのキャッチーなサビになっていました。僕はその方法論を参考に詞を書き上げました」
売野の詞には、優しい印象の曲がつけられ、「少女A」は一旦完成を見た。だが、ワーナー側は不採用とし、この曲が日の目を見ることはなかった。ところが1週間後、「曲は落ちましたが、詞は残っている」との連絡があり、再びプロジェクトが動き始めていく。