中森明菜が表舞台から姿を消して5年あまりが経つ。デビュー40周年を迎えた昨年、ついに長い沈黙を破り、公式サイトにて「何がみんなにとっての正義なんだろう?」とファンに語りかけた。歌手人生のあらたな扉を開こうとする彼女は、いま何を思うのか。

 ここでは、ノンフィクション作家・西﨑伸彦氏による『中森明菜 消えた歌姫』(文藝春秋)を一部抜粋して紹介する。80年代のトップを駆け抜けた人気歌手・松田聖子。この強力なライバルを、中森明菜はどう見ていたのか。関係者への取材によって、孤独な歌姫の“知られざる本音”に迫る。(全2回の2回目/最初から読む

中森明菜 ©文藝春秋

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 キャリアを凝縮した濃密な1年が終わり、89年1月、時代は激動の“昭和”から“平成”に変わった。

 明菜とともに80年代のトップを駆け抜けた松田聖子は、85年に映画で共演した俳優の神田正輝と結婚。翌年には一人娘の沙也加を出産した後に復帰を果たすなど、孤高のイメージを背負う明菜とは違う、強かな女性像を確立して飛躍の10年目を迎えていた。

明菜が語っていた「聖子の印象」

 聖子は、デビュー曲の「裸足の季節」が資生堂のCMのタイアップ曲となり、続く「青い珊瑚礁」もグリコのアイスクリームのCM曲に選ばれた。聖子の10年の歩みを振り返ると、その多くの作品がメジャー調の曲で、彼女は“陽”のイメージで捉えられる。

1985年、披露宴の衣装で記者会見する神田正輝と松田聖子 ©時事通信社

 一方の明菜はCMのタイアップとは無縁で、物憂げなマイナー調の曲が多く、“陰”のイメージが強い。その対照的な2人は、89年2月に写真誌『FRIDAY』が明菜の恋人である近藤真彦と松田聖子のニューヨーク密会をスッパ抜いたことで、埋め難い確執があるとマスコミに取り沙汰されてきた。しかし、それも憶測の域を出ない。後年のインタビューでは、明菜はスキャンダル報道を浴び続けてきた聖子をこう評している。

「聖子さんって強い人だなァと思う。羨ましい。すごく頭のいい人なんでしょうね。だから自分を辛いほうに持ってゆくんじゃなくて、解消法をご存じなのかもしれない。いろいろ言われても、ご自分のいいほうに持ってゆけるという。私は言われたり書かれたりすると、そんなことしてない、そんなことないのにと、ただ思い詰めるほうだから、どんどん落ち込んじゃうんです」(『マルコポーロ』1995年1月号)