「ライバルへの対抗心」をむき出しに
音楽番組で明菜に関わったスタッフの1人は、明菜の松田聖子に対する本音を垣間見た瞬間をこう振り返る。
「当時の人気歌手は、年末になるとコンサートや音楽番組の特番などの収録が相次ぎ、超過密なスケジュールも珍しくはなかった。そうすると、結構みんな喉がガラガラになって声が出にくくなる。もちろんそれでも生歌で唄うのですが、なかには、周囲が心配して『(歌を)被せて欲しい』と言ってくるケースもあって、『リハーサルは声を出さなくていいよ』と言うこともありました。
ある時、音楽番組の特番でのリハーサルで、聖子さんが唄っている姿をじっと見ていた明菜さんが『聖子さん、あれ口パクですよね』と言ってきたことがありました。それを確認したうえで、彼女は声がどんなにガラガラでも意地で唄うんです。それはストイックさと言うよりも、聖子さんへの対抗心であり、1番になりたいという強い気持ちの表れだと感じました」
明菜が聖子に抱く複雑な感情は、歌手としての尊敬の念とライバル心が入り混じったものであり、確執と言うには程遠い。スキャンダルさえ糧にしてしまう強かな聖子がいたからこそ、対を成す明菜の個性が際立ち、競い合うことで2人の名曲が次々と生まれていったのだ。
伝説のコンサートが内包していた「危うさ」
だが、2人が輝く80年代も終わりを迎えようとしていた。
聖子は89年6月をもって、デビュー時から所属したサンミュージックから独立し、個人事務所設立に向けて動き出した。
一方の明菜はデビュー8周年を記念して、89年4月29日と30日に東京・よみうりランドEASTで「AKINA EAST LIVE」を開催した。82年のデビュー曲「スローモーション」から最新作「LIAR」までのシングルA面曲など24曲を網羅し、“伝説のコンサート”と称された。