3月27日、フジ・メディア・ホールディングス(HD)は、同社とフジテレビの取締役相談役を務める日枝久氏(87)が退任すると発表した。

 2024年末から世間を騒がせてきた「中居正広・フジテレビ問題」。ことし1月に行われたフジテレビの会見当日、「週刊文春」は日枝氏の姿を捉えていた。40年以上にわたって取締役を務め、“フジの天皇”と呼ばれた日枝氏とは、一体どんな人物なのか。その全貌に迫った当時の記事を全文公開する。(全2回の1回目/つづきを読む

(初出:「週刊文春」2025年2月6日号。年齢、肩書は当時のまま)

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 1月27日午前11時40分、東京・港区の5つ星ホテルの車寄せに1台のセンチュリーが音もなく滑り込んだ。

 正午過ぎ、フロント階に降りてきた白髪の老人は、小誌記者の姿を認めると踵を返し、再び姿を(くら)ませた。

 その老人の名は、フジテレビの日枝久取締役相談役(87)。社長、会長、相談役と肩書を変えながら、実に36年にわたり社内で権勢を振るってきた。その日、日枝氏はメディアが待機する都内の自宅を避け、ビジネス街を見下ろすゲストルームに身を隠していた。

 午後12時半、ホテルのスタッフに支えられ、関係者の出入り口に姿を現した日枝氏に声を掛けた。

記者の直撃を受ける日枝氏

――日枝さんが人事権を握っているとの声もある。

「どこ(の社)ですか、どこですか」

――週刊文春です。今回の問題をどう見ている?

「知りません」

 甲斐甲斐しいスタッフに囲まれながらも蹌踉(よろ)めく姿は、まるでフジの行く末を暗示するかのようだ。

 フジ本社22階のフォーラムで催された「やり直し会見」がスタートしたのは、それから約4時間後のこと。港浩一社長を中央に、嘉納修治会長(いずれも当時)、遠藤龍之介副会長、金光修社長(フジ・メディア・ホールディングス)が左右に控える。だが、彼らを任命した“フジの天皇”は、ついに姿を見せなかった――。

芸能界を引退した中居正広 ©時事通信社

フジテレビ会見の裏で起きていたこと

 昨年末から小誌が報じている元SMAPの中居正広(52)が引き起こした女性トラブル。港氏が一度目の会見を行ったのは、小誌の第1報から約3週間が過ぎた1月17日のことだ。

 本社20階にある通称「代表部屋」。日枝氏に認められた大幹部のみ入室を許される奥の院である。会見後、同じフロアにある幾分狭い社長室に戻った港氏は、日枝氏から労いの言葉を掛けられた。

「会見、よくやったぞ」

 だが、翌18日、社内に激震が走る。大スポンサーであるトヨタ自動車がCMを差し替えたことを明らかにしたのだ。

「港氏は『会見は成功だった』と胸を張っていましたが、ある大スポンサーの担当者から『初期対応を失敗しましたね』と言われ、港氏は初めて失敗に気付いたのです」(フジ幹部)