36年前の日本を震撼させた史上最悪の少年犯罪「女子高生コンクリート詰め殺人事件」。なぜ被害者である17歳の女性は残虐な犯人たちと出会ったのか? その狡猾かつ残虐な犯行手口とは? 新刊『映画になった恐怖の実話Ⅳ』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全4回の2回目/最初から読む)

「でけぇ顔になった」と犯人は大笑い…。その恐るべき犯行手口とは? 写真はイメージ ©getty

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バイト帰りに訪れた最悪の出会い

 Jさんは1971年、埼玉県三郷市で生まれた。兄と弟に挟まれ育った彼女は、その明るい性格と可愛いらしいルックスで近所でも評判の少女だった。地元の小中学校を卒業後、八潮南高校に入学。

 成績は良く、遅刻や休みも皆無。卒業後は大学進学を選択せず、家電量販店に就職することになっていた。学校の友人たちと計画していた卒業旅行の資金稼ぎのため八潮市内のプラスティック成型工場で週2回のアルバイトを始めたのが1988年10月。その翌月、彼女に最悪の出会いが訪れる。

 同年11月25日夕方、バイトを終えたJさんは自転車で帰路についていた。と、突然、男が近づき自転車ごと蹴り飛ばした。Jさんが転倒し怯えていたところ別の男が近づいてきて「あいつは頭がおかしい。俺もさっきナイフで脅された。危ないから送ってやる」と声をかけてきた。気が動転していたJさんはこの言葉をすっかり信用し、言われるがまま男の原付きバイクの助手席に乗る。

 この日、AとCは地元の足立区から女性を強姦する目的で三郷市に遠征、街中を徘徊していた。目ぼしい相手が見つからず苛立っていたところに偶然通りかかったのがJさんである。大きな瞳の美少女で、Aの好みだった。AはすぐさまCに指示を出し、意図的に自転車を転倒させた後、正義の味方を装い助け舟を出す。全ては芝居で、彼らが使ういつもの手口だった。

 AはJさんを人気のない倉庫に連れ出すと態度を豹変させ、先ほどの男(C)はグルで自分はヤクザだと騙ったうえで、21時50分ごろに彼女をタクシーで足立区内のラブホテルに連れ込み強姦。

 23時ごろ、当時「極青会」の溜まり場になっていたCの家に電話をかける。このとき受話器を取ったのがBで、彼はAの具体的な話に興奮し「女を帰さないでください」と懇願。AがJさんを連れいったんB、C、Dと公園で合流し、彼女の処分を相談したところ、Bが「さらっちゃいましょうよ」と言ったことで、Cの家に監禁し弄ぶことを決定する。時刻は日が変わった同月26日午前1時過ぎ。地獄の40日間の幕開けである。