今も記憶にこびりつく最悪の少年犯罪「女子高生コンクリート詰め殺人事件」。犯行現場は、犯人の1人である16歳の少年の自宅。そこには彼の両親も住んでいたにもかかわらず、なぜ事件発覚が遅れたのか? 事件が露呈した理由とは? 新刊『映画になった恐怖の実話Ⅳ』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全4回の3回目/最初から読む)
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被害者に気づきながら見逃していた家族
家族も住む一戸建ての2階での犯行は、なぜ発覚しなかったのか。
まずCの父親は自身が入党している共産党の機関誌『赤旗』の配達や集金に忙しく家の事情には無関心。一方、母親は事態をわかっており、最初にJさんの存在に気づいた際、彼女を逃がそうとした。
が、その一件でCから1時間にわたって暴力を振るわれたため、以降は見て見ぬふりをする。また、Cの1つ上の兄は監禁の一部始終を目撃していたものの、彼自身もAらと親しい間柄だったためこれを黙認した。ただ、1998年12月初旬、Cの両親は一度だけ息子をまじえJさんと食事を共にしている。顔がひどく腫れ、何もしゃべらない彼女を見て、食事後、両親はJさんに帰宅を促し玄関から送り出した。が、すぐにCがJさんを追いかけ連れ戻す。すでに彼女自身も逃げる気力を失っていた。
ちなみに、近隣住民はCの家の2階の窓から出入りする少年たちを夜中に何度も目撃している。家族と顔を合わせないよう、脚立などを使い2階に上り、直接監禁部屋に入り込んでいたようだ。
住民はそんな姿を苦々しく感じていたものの、まさかそこで地獄絵図が展開されているとは夢にも思わず、通報する者は1人もいなかった。
こうして犯行がバレることなく悪夢の40日が過ぎた1989年1月4日早朝、Aは徹夜の賭け麻雀に大敗した後、Dの自宅に足を運ぶ。
そこにはBとCもおり、しばらくファミコンで遊んでいたが、麻雀に負けた鬱憤を晴らすため、Jさんをいたぶろうと考える。このころ、Aは彼女への暴行に飽き飽きしており、「ひさしぶりにやるか!」と口にしたそうだ。
同日午前8時ごろ、4人は前後してCの家に集まりJさんを徹底的に痛めつける。蝋燭に火をつけてロウを垂らして顔面をロウまみれにし、両まぶたの上に火のついた蝋燭を立てて爆笑。続けて、彼女が排泄用に使っていた飲料パックの尿を無理やりストローで飲ませたうえ、顔面に繰り返し回し蹴りを入れた。さらに、キックボクシングの練習器具の鉄製脚部(約1.74キロ)をゴルフスイングのような要領で数十回にわたって殴打した挙げ句、この器具を肩の高さからJさんの腹部めがけて二度三度と落下させる。
彼女はほとんど反応せず、されるがままだった。それが死を示していることを十分知りながら、4人は2時間にわたって絶え間なく暴行。結果、Jさんは重篤な状態に陥り、その日の22時ごろまでに亡くなる。
翌5日、A、B、Cが暴力団関係者の花屋にいたところ、Cの兄から「少女の様子がおかしい」との電話連絡が入った。慌ててCの自室に出向くと、そこにはすでに息をしていない彼女の姿が。