取材中、「よー、きっちり2億円を銀行員に届けさせたぜ」と笑顔を見せたことも…。貧しい生まれながらも、闇金融業で財をなした杉山治夫氏。自身の著書では「世の中・金や金や!」といった大胆な言葉が踊るように、とにかく金に執着した「闇金の帝王」の人生とは? 長年、報道カメラマンとして活躍する橋本昇氏の新刊『追想の現場』(鉄人社/高木瑞穂編)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

「世の中・金や金や!」闇金の帝王と呼ばれた男の著書(画像:Amazonより)

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闇金ビジネスで財をなした男

 彼の金への執着は尋常ではなかった。闇金融業で財をなした杉山治夫氏の話だ。闇金融とは、どこからもカネを借りる術がなくなり、尾羽打ち枯らした人間が最後に駆け込む金貸しのことだが、当然のことながら利息は法外なものとなる。トイチ(10日で1割)という言葉は有名だが、週倍(1週間で2倍)、ヒサン(1日で3割)まであるというから驚く。つまりは人の弱みに付け込む悪徳金貸しだ。この1990年代の初めまでは御上を意識しつつ、世の中の裏でひっそりと営業していた闇金を一躍で万人に知らしめたのが、杉山治夫氏だ。

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 彼の生い立ちは貧しさを通り越して悲惨だった。1938年に高知市で生まれたが、船員の父親は博打と酒に溺れ家庭は崩壊していた。農家の納屋での食うや食わずの生活。まともに小学校にも通学できず、すきっ腹を抱えて畑ドロボーを繰り返す毎日だったという。

「腹が空き過ぎて、畑から大根を引き抜いて泥が付いたまま食ったんや。口の中がじゃりじゃりしたけど、すきっ腹に染み渡ったよ。わかるか? そのときの小僧の姿が。俺の胃袋があれも食えこれも食えと泣くんや。風呂にも入れず、垢まみれで服は黒光りしとった。ルンペン(ホームレス)のガキやな」と彼はしみじみと述懐した。

 中学にもろくに通わず地元の時計店に丁稚奉公に入る。仕事はきつかったが、1日3度の食事が有難かったという。

「目が真っ赤になるほど一生懸命に働き、どんぶり3杯は食った」

 まさに粉骨砕身。口調は感傷に浸りながらも、淡々と続けた。

「世間を恨んでも仕方がない。きっと、絶対に金持ちになったるんやという夢が、メラメラと燃えとったんやろな」

 そして20歳のころから独立して商売を始めたというが、裸一貫の若者が歩む道のりの厳しさは容易に想像できる。倒産を繰り返し、否応なく裏社会との繋がりもできる。

「いちばん怖かったのは、山菱(暴力団山口組)の若いのからボコボコにされ、縛られて首だけ出して埋められたときやな。これはもうアカンと思うたわ」