なぜ犯行がバレたのか?

 被害者をなぶり殺しにした非人道的な犯行事件発覚のきっかけは偶然だった。1989年3月、警視庁綾瀬警察署は管内で起き未解決となっていた36歳の女性と7歳が殺害された事件を捜査していた。その参考人として同署に連行されたのがAとBである。警察は2件の婦女暴行と20件のひったくり容疑で2人を逮捕したのだが、真の狙いは母子の殺人。取り調べで刑事は「人を殺しちゃダメじゃないか」とかまをかけた。

 と、Aが唐突に少女の遺体をドラム缶に詰め遺棄したことを供述。どうやら、AはBがすでに犯行を自供したものと思い込んでいたらしい。思わぬ告白を受け警察が捜索を開始したところ、供述どおり遺体の入れられたドラム缶が発見され、事件発覚。Cの自宅を家宅捜索したうえで、同月29日にC、Dと共にA、Bを拉致、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄の容疑で逮捕する(他に死体遺棄を手伝ったとしてCの兄と、猥褻容疑で少年2人が逮捕されたが不起訴処分に)。

 4人はいずれも20歳未満の未成年(当時)で、当初、検察は彼らを東京家庭裁判所に送致したが、同家裁は事件の残虐さを鑑みて「刑事処分が相当」と判断し、東京地検に逆送致。結果、被疑者4人の罪は東京地裁で審理されることになる。

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 裁判は1989年7月31日から始まった。冒頭陳述で検察は、加害者少年らが監禁から約1ヶ月後の12月下旬頃から、少女の扱いに困り「コンクリート詰めにして海に捨てよう」などと話し合い、殺害後に江東区の埋立地に遺棄したと主張。対して弁護側は罪状認否において、Aが未必の故意による殺人を認めている一方、他の3人は殺意を否認し、傷害致死に留まると述べた。