少年犯罪や凶悪事件が起こると、現場に出向いて伝える。被害者の涙に胸を打たれ、時には加害者ともやり合った。45歳から始まった東海林のり子(89)の事件レポーター人生は修羅場の連続だった――。(全2回の2回目/前編を読む)  

東海林のり子さん ©️文藝春秋

オンエアできなかった加害者の親の言葉

――昭和の頃、ワイドショーは被害者の家に赴くだけに留まらず、加害者の自宅も直撃していましたよね。

東海林 怖い目にも遭った。昔の家の造りだと、表に引き戸があって、少し距離を置いて奥に玄関があるでしょ。気合いを入れるため、カメラマンたちと「1、2、3」と声を掛け合って、引き戸を開けたの。そしたら、加害者の親が横で隠れて待ってた。金物のちり取りを振りかざしながら「コラァ!!」と出てきたから、あわててダァーッと逃げたことがあった(笑)。だから、いつもドアを開ける前は緊張したわよ。普通はね、加害者の家には行かないの。

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――なぜ、その時は足を運んだのですか。

東海林 事件の記事を読んで、居ても立ってもいられなくなって、「突撃しよう」って自分から提案したの。

――アグレッシブですね。

東海林 男子高校生5人が同級生を殺した事件があった。その時も頭に来て、加害者の5人の家を1つずつ当たって行ったの。1軒だけ、お腹のでっぷりしたお母さんが出てきた。「こんな酷い事件が起きました。おたくの息子さんも参加していますよね」とマイクを向けたら、「いや~私、ホッとしたのよ。ウチの息子だけがやったんじゃなくて」と言ったの。

突撃、直撃を重ね、人々の生の声を伝え続けた

――リアルな言葉です。

東海林 本当に腹が立った。でも、正直な感想かもしれない。現場に出向くと、そういう強烈な一言に当たるのよ。はらわた煮えくり帰って「結構です」と言って帰った。あれはオンエアしなかったはず。私だけが知り得た現実だと思ってる。

――人間の隠しきれない本心が露わになったんですね。

戸籍なく学校にも行けない子供たち…ワイドショーだけが拾い上げた事件

東海林 世の中に埋もれていた事件も、ワイドショーは拾い上げていた。父親が出生届を提出せず、戸籍のない子がいたの。その父親は蒸発した。母親は途中から子育てを放棄して、4人の子供だけでマンションの2階で生活していた。14歳の長男は戸籍がないから学校にも行けないの。

©️文藝春秋

――壮絶な状態ですね。

東海林 長男が幼い弟や妹たちの面倒を見ていたんだけど、ずっと家にいるから誰かと遊びたくてしょうがない。近所の男の子たちがよく来ていたんだけど、妹がラーメンを食べていたら、その友達たちが取り上げて口にしちゃう。お兄ちゃんは嫌われたくないから、何も言わない。弟や妹は餓死寸前になった。その友達たちは泣き止まない2歳の女の子に暴行を加えて、死亡させていた。

――親はどこに行ったんですか。

東海林 母親は別の場所で男と住んでいて、長男に生活費として1カ月分のお金を渡していた。あの時も突撃したの。家から母親が男と2人で出てきたから、マイクを向けた。男が「やめてくれよ!!」と大声で怒鳴ってきたわ。『巣鴨子供置き去り事件』というタイトルで放送したと思う(1988年)。

「巣鴨子供置き去り事件」は映画のモチーフにもなった

――子供たちはどうなったんですか。