新聞や雑誌の記事をフリップにまとめ、複数のコメンテーターが持論を述べていく――。このスタイルがワイドショーに定着して久しい。1980年代から90年代にかけて事件レポーターとして最前線に立っていた東海林のり子(89)はどう考えているのか。自身だけが体験した“衝撃的な現場”を振り返りながら、“ワイドショーの意義”を語る。(全2回の1回目/後編を読む)
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「最近のワイドショーは見ない。リアルじゃないから」
――最近のワイドショーはご覧になっていますか?
東海林 見ない。なぜかというと、リアルじゃないから。“今”を伝えていないの。
――どういうことですか。
東海林 「ワイドショーは低俗だ」と散々批判されてきたけど、身近な事件から学ぶべき教訓も伝えてたの。昔、こんな事故があった。サラリーマンのお父さんが朝、車で家を出ようとした。坊やが後ろに立って「いってらっしゃい」と手を振った。そしたら、お父さんが間違えて後ろに発進して、お子さんを轢いちゃった。これは、1軒だけの問題じゃない。車に乗って出掛けるお父さんを見送りに行った時、子供を後ろに立たせたらいけない。それを教えるのが、ワイドショーの役割だと思う。
――最近は、世の中で実際に起こっている身近な事故や事件があまり放送されていないと。
東海林 「亡くなって可哀想だから」という理由で報じない番組もあると聞くし、最小限に留めているように感じる。気持ちはわかるけど、二度と悲劇を起こさないためにどうすればいいか。大変な事件が起こった時、ワイドショーが防ぐ手立てを考え出す。目を背けないことも大事なのよ。
当時、事件取材の現場には男性しかいなかった
東海林のり子は1934年5月26日、埼玉県浦和市に生誕。1957年、立教大学文学部英米文学科を卒業し、ニッポン放送にアナウンサーとして入社した。出産から2年後の1970年に退社し、フジテレビ『東京ホームジョッキー』のレポーターとなり、団地で食材を売るなどテレビショッピングの先駆けとなるコーナーに携わる。1980年頃から『小川宏ショー』『3時のあなた』などで事件レポーターとして全国を飛び回った。
――男女雇用機会均等法の施行前ですし、当時のマスコミは特に男性社会でした。
東海林 事件取材の現場には男性しかいなかった。テレビの報道記者も新聞記者もダスターコートを着て、同じ場所に固まっているの。初めて行った時、「女に取材できるのか?」という視線を感じた。その時、「絶対負けない」と思ったの。
――反骨心が生まれたんですね。
東海林 報道の人たちって、「今日はこの辺で」と一斉に帰っちゃうのね。私はね、一緒に帰ったフリして現場に戻るの。そしたら、周辺の奥さんたちが家から出てきて、話し始めているわけ。そこに突っ込んでいくと、インタビューを取れた。
――どんな反応をされましたか。
東海林 「え~。私、ワイドショーなんか1回も見たことない」って、奥さんたちが言うの。だけど、毎日チェックしてるのよ。話を聞くと、すぐわかる。でも、熱心な視聴者だと知られたくない。そのくらいの位置にあったわけ。