新宿駅からわずか2駅、最寄り駅から徒歩4分。都心の人気のヴィンテージマンションシリーズにもかかわらず、相場に比べて格段に安価なマンションがあった。その理由は、管理組合の理事たちによる30年近い“独裁的な管理”と、そこで強制される大量の謎ルールにあった。

 住民たちはマンションの自治を取り戻すべく立ち上がり、無事に“政権交代”を実現。現在は資産価値も上昇している。

 いったいそのマンションには、どんなルールがあったのか。管理組合と闘った住民たちの結末とは——。ノンフィクションライター・栗田シメイ氏の著書『ルポ 秀和幡ヶ谷レジデンス』(毎日新聞出版)より一部を抜粋・再編集して紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)

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かつて「渋谷の北朝鮮」と呼ばれたマンション・秀和幡ヶ谷レジデンス(写真提供=毎日新聞出版)

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有志の会を襲った苦難

 2020年2月の総会を終えて、有志の会の一部メンバーは手応えを感じていた。次回の役員改選で、勝負をかけられるのではないか。そんな感触をつかみつつあった。最大の理由は平時の総会の参加者が増えてきていたこと。加えて、委任状の集まりが80に届いていたことだった。

 しかし、新型コロナウイルスの蔓延により、集会や活動に大きな制限がかけられることになる。以前より、活動資金を得ることも重要課題であった。19年に会則を作り、自治会で口座を開設した。これを最後に、集会所の閉鎖に伴い、月に2度開いていた集会は自粛を余儀なくされる。

「最もツラい時期を挙げるなら、20年3月からの半年間ですかね。そもそも満足な活動がほとんどできなかったので。これまで苦労して積み上げてきたものが手から崩れ落ちていくような感覚でした」

ゴールが見えない絶望感

 手島は、後にこう振り返っている。

 世間の風潮に鑑みても、とても開催に踏み切ることはできなかった。住民の中には仕事を失う可能性がある人、生活に不安を抱える人もいた。賛同者に高齢者が多いことから、集会によるクラスターの発生を恐れた面もある。

 有志の会や自治会と日常生活を天秤にかけた時、大半の住民が自分の生活を優先した。手島にはそのことを咎めることなどできなかった。そんな中でも月に1度のメルマガ配信だけは継続した。

 ようやく有志の会の活動が再開したのは、4カ月後、7月24日の昼下がりであった。通常であれば固定メンバーが10名ほどは参加していたが、この日は手島、今井、桜井の古参の3名の参加に留まった。

「前年のことが噓のように、委任状の数(の増加)も止まってしまった。それどころか、賛同者から抜けていく人もどんどん出てきたのです。集会すらままならないのですから、仕方ないですが、ゴールが見えない絶望感があった。ただ、私が折れると本当に終わってしまうかもしれない。病の身でも何とか顔に出さないように振る舞っていました」