新宿駅からわずか2駅、最寄り駅から徒歩4分。都心の人気のヴィンテージマンションシリーズにもかかわらず、相場に比べて格段に安価なマンションがあった。その理由は、管理組合の理事たちによる30年近い“独裁的な管理”と、そこで強制される大量の謎ルールにあった。

 住民たちはマンションの自治を取り戻すべく立ち上がり、無事に“政権交代”を実現。現在は資産価値も上昇している。

 いったいそのマンションには、どんなルールがあったのか。管理組合と闘った住民たちの結末とは——。ノンフィクションライター・栗田シメイ氏の著書『ルポ 秀和幡ヶ谷レジデンス』(毎日新聞出版)より一部を抜粋・再編集して紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)

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かつて「渋谷の北朝鮮」と呼ばれたマンション・秀和幡ヶ谷レジデンス(写真提供=毎日新聞出版)

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あまりにも違う…系列マンションの理事長が感じた「違和感」

 幡ヶ谷の話は、別の秀和シリーズの住民の耳にも入っていた。

 直線距離で2kmと離れていない、秀和参宮橋(さんぐうばし)レジデンス(渋谷区代々木)だ。

 居住者の1人、石田美家子(75)は、秀和参宮橋レジデンスを購入して約20年が経つ。代々木4丁目の同じ町内に住んでいたこともあり、花と緑に彩られた白壁のマンションに長年惹かれていた。偶然売りに出ているのを確認すると、内見もせずに50平米の1室を即時購入した。

 今でもその判断は間違っていなかった、と石田は考えている。その理由の1つが、何よりも住み心地の良さであった。

 石田に屋上に案内してもらうと、東京の街並が一望できた。神宮の花火大会などの祭事には屋上が住人に開放されるなど、区分所有者の交流も深かった、と石田は明かす。

 そんな空気感を好み、マンション自治にも積極的に参加した。推薦されて理事を2期、理事長を1期務めた。

 もう1つの理由が、資産としての価値だ。購入時と比較して、現在の市場価格は数百万円単位で上昇している。これは昨今の東京における不動産バブルの影響も大きい。特に渋谷区代々木のような一等地では、築60年近いマンションでも値上がり傾向にあった。ところが、なぜか近所の秀和幡ヶ谷は資産価値が下がっていた。そんな状況を石田も多少は知っていたが、そこまで気に留めることはなかったという。