「幡ヶ谷の管理がおかしい」「トラブルが頻発している」と話を聞いて…
しかし、ある日出入り業者を通して幡ヶ谷の状況を確認する機会があった。「管理会社が幡ヶ谷と参宮橋とを兼務している時期があったんです。そこで管理人から、幡ヶ谷の管理がおかしい、と聞きました。人の出入りを異常に厳しくチェックしているとか、不動産や工事などの出入り業者とのトラブルが頻発している、と」
理事長を務めていた関係もあり、石田には幡ヶ谷に住む知人がいた。連絡をとってみると、やはり管理人から聞いたように苦しんでいると、か細い声で打ち明けられた。その実情を自分の目で確かめるべく幡ヶ谷まで足を運んだが、花や緑も少なく、無機質な印象を受けた。何よりもマンションが持つ“温度”のようなものが感じられず、そのことは、どこか石田の気持ちを沈ませた。
理事長として熱心に活動を続けてきた石田だからこそ、幡ヶ谷の状況は長らく心の奥底に引っかかっていた。しかし、区分所有者でもない人間にできることがないことも理解していた。
運命を動かす出会い
ところが、偶然にも幡ヶ谷の区分所有者が参宮橋に居住していることを知る。それが秀和シリーズの熱烈なファンであり、21年間もの間、賃貸で参宮橋に居住していた手島香納芽だった。
石田と手島は、もともとは同じマンションの住人同士の域を出る付き合いはなかったという。時折敷地内で出会うと世間話を交わす程度の間柄だった。そんな関係に変化が生まれたのは、手島が秀和幡ヶ谷のマンションを所有していると知ったことがきっかけだった。石田は手島に幡ヶ谷の状況を説明した。深い意図はなかった。だが、この時交わした何気ない会話が、秀和幡ヶ谷レジデンスの運命を動かすことになる。
手島が秀和幡ヶ谷レジデンスを購入したのは2003年。60平米以上の広さ、全室リフォーム、かつ3000万円代前半という価格は掘出し物件に思えた。不動産屋からはいくつか提案がある中、渋る夫の反対も押し切り、手島の強い意志で購入に至ったという。同じマンションシリーズである参宮橋で過ごした“良き記憶”も後押しした。
当初は購入後すぐに幡ヶ谷に移り住む予定だったが、一人娘の住環境を重視して参宮橋に住み続けた。幡ヶ谷は賃貸オーナーとして保有していた。つまり、外部オーナーとして幡ヶ谷の状況を深く知る機会は限られていた。総会の案内にも目を通すこともなければ、参加を検討したことも一度もなかった。
それでも、一度借り主から管理組合との間で小競り合いがあったことは耳にしていた。石田から聞いた話も気がかりだった。18年2月。手島は秀和幡ヶ谷レジデンスの総会への参加を決めた。