新宿駅からわずか2駅、最寄り駅から徒歩4分。都心の人気のヴィンテージマンションシリーズにもかかわらず、相場に比べて格段に安価なマンションがあった。その理由は、管理組合の理事たちによる30年近い“独裁的な管理”と、そこで強制される大量の謎ルールにあった。

 住民たちはマンションの自治を取り戻すべく立ち上がり、無事に“政権交代”を実現。現在は資産価値も上昇している。

 いったいそのマンションには、どんなルールがあったのか。管理組合と闘った住民たちの結末とは——。ノンフィクションライター・栗田シメイ氏の著書『ルポ 秀和幡ヶ谷レジデンス』(毎日新聞出版)より一部を抜粋・再編集して紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)

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かつて「渋谷の北朝鮮」と呼ばれたマンション・秀和幡ヶ谷レジデンス(写真提供=毎日新聞出版)

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そのマンションは、通称『渋谷の北朝鮮』

 東京・渋谷区の一等地にとんでもないマンションがある——。

 全ては一本のこんな電話から始まった。

「独裁的な管理組合の謎ルールの数々に、住民が困り果てている。ネットでは、『渋谷の北朝鮮』とも揶揄(やゆ)されているくらい。一度取材をしてみてくれないか」

 声の主は、業界の裏事情に詳しい不動産会社の代表の高田(仮名)だった。17年の春、私がスルガ銀行の高金利アパートローンの取材を始めた際に出会った、いわゆる“ネタ元”の一人である。当時は、融資に関わった関連企業や販売主の特定にも大きく関わり、その情報収集力には驚かされたものだ。

 また、世間の耳目(じもく)を集める前に被害者とされる人々を集め、会合をセッティングしてくれるなど、人脈も広かった。行動力に加え、好奇心が強い人物でもある。きな臭い話を好む気さくな性格で妙に馬が合った。

 一方で、私には高田の情報を思うように記事にできない負い目など、いくつもの返すべき“借り”があった。そんな折の着信では私の心情を読み取ったかのように、念を押された。

「不動産業に関わる者として、この手の話は許せないんですよ」

 電話越しの高田は、いつにも増して興奮気味な口調だった。