「ホテルの高級家具が燃える。惜しい。家具の運び出しを優先しろ」――利益を追求しすぎた結果、33人が死亡…。自らの不始末によって、「ホテルニュージャパン火災事件」を起こした経営者の横井英樹氏。彼のその後の人生とは? 報道カメラマンとして活躍する橋本昇氏の新刊『追想の現場』(鉄人社/高木瑞穂編)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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33人が死亡――ホテルニュージャパン火災事件
横井はホテルの最重要課題である安全管理に無駄金は使わないという哲学からか、自動火災報知器の定期点検はせず、スプリンクラーも形だけだった。それが仇となった。
1982年2月8日、外国人宿泊客の寝タバコが原因で火災が発生。瞬く間に火はホテル中にまわった。炎に焙られながらカーテンを握りしめて下へと逃げる男性──熱さに耐えきれず飛び降りる女性──ニュース画面で展開する光景は悲惨極まりないものだった。そして33人の命が奪われてしまった。
ところが横井氏は現場に到着したとき従業員に、次のように指示をしたという。
「ホテルの高級家具が燃える。惜しい。家具の運び出しを優先しろ」
その後横井氏は焼けた建物を14年も放置した。
私は無惨に放置されたホテルに深夜、高い塀を乗り越えて潜入撮影した。懐中電灯に黒く浮かび上がる焼けた壁、家具、配線、冷蔵庫。真っ暗な廊下を進んで行くと、いまにも犠牲者の怨霊が声を掛けてくるような幻想が頭の中をチラチラした。
結局、横井氏は1993年、火災の責任を問われて禁固3年の判決を受け、刑務所へ入った。出所して間もなく、『週刊文春』編集部に一本の電話が入った。
