「僕らの世代、いまだに男は稼いでなんぼなんです。家族を養えないと自分に価値がないように思えて、男としてのアイデンティティが見事に崩れるんです。それがめちゃくちゃ怖いんですよ」
10代で髪が薄くなり、20~30代は仕事でもストレスばかりで「低空飛行の人生」だった和見龍弥(50)さん。ところが現在はインスタのフォロワー2万人、さらに49歳のときにはモデルとしてパリのファッションショーにも参加――いったい彼の人生に何があったのか?(全2回の1回目/後編を読む)
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最初のコンプレックスは高身長「あだ名は鉄人28号だった」
──元々、高身長がコンプレックスだったそうですね。
和見龍弥(以下、和見) 保育園時代から背が高くて、背の順に並ぶと必ず一番後ろだったんです。小学生って、残酷じゃないですか。みんなと違う人をいじめるというか、いじるというか。ずっとそういうイジリの対象でした。
背が高いから、どうしても他の子と話すとき、背筋が丸まるんです。それでだんだん猫背になっていて。人間って不思議ですけど、姿勢が前かがみになると自信をなくすんですよ。だから、ずっと自信のない子供時代でした。
──あだ名を付けられたり?
和見 つけられましたね。『鉄人28号』って漫画がありますよね。僕本名が「テツヤ」っていうんですけど「鉄人」ってからかわれて。それがすごい嫌でした。それからもずっと身長がのび続けて、高校生の時にはもう今の身長(189センチ)でした。
──それだけシュッとしてたら、モテそうですけどね。
和見 いや、全然です。中学、高校、大学と一度もモテたことないです。どっちかっていうと陰キャ寄りやと思います。おじさんになってから、トルコで一回だけ若い女の子に囲まれたことがあったんですが、心底居心地が悪くて。あまりのストレスでEDになったこともあります(笑)。
20歳にしてハゲぎみに…
──髪の毛が薄くなり始めたのは高校生ぐらいの時だったとか?
和見 そうですね。今の奥さんは、高校時代に初めてできた彼女なんですけど、付き合って3日目くらいに「和見くんって、ちょっとハゲてるよな」って言われたんです。当時もう親父はハゲてたし、祖父もツルツルなので自分でも気にはなっていたんですが……。
──結構若くから悩み始めたんですね。
和見 そうですね。20歳の時に、美容師さんから「和見くん、年いくつだっけ……? ちょっと早いかもね」って言われたんです。正直、自分でも気づいてはいたんですけど、そこからめちゃくちゃ気になるようになって。育毛剤にもかなり課金しましたね。
──薄毛にはいろんなタイプがあると聞きますが、どんなタイプだったんですか?
和見 前からも上からもですね。……「お気の毒に」みたいな感じですか?(笑)。タイプで言えば、M字型(おでこが薄くなる)とO型(頭頂部から薄くなる)の両方来たんです。中学生までは指3本分ぐらいまでしかおでこがなかったんですが、だんだん指が4本入るようになり……。後頭部は、つむじ2つがだんだん合体していく、みたいな感じで薄毛の範囲が広がっていったんです。
──髪の毛が抜けて、何が一番嫌でしたか?