乗員乗客107人の死者を出した、JR史上最悪の惨事・福知山線脱線事故から20年。脱線・転覆の10秒間に、いったい何が起きていたのか。生死を分けたものは何だったのか。重傷を負った生存者にふりかかった様々な苦悩と、再生への歩みとは――。
ここでは、遺族、重傷を負った被害者たち、医療従事者、企業の対応など、多角的な取材を重ねてきたノンフィクション作家・柳田邦男氏の著書『それでも人生にYesと言うために JR福知山線事故の真因と被害者の20年』(文藝春秋)より一部を抜粋。1両目に乗っていた女子大生の証言を紹介する。(全4回の1回目/2回目に続く)
◆◆◆
足を踏んばって立っていようとしたが、身体が宙に浮いて
脱線転覆時の車両の状況を、2人の女子学生の回想による証言で辿ることにする。
木村仁美の証言に基づく経過。
カーブに入ったなと思った次の瞬間、「キキーッ」というけたたましい音が鳴り響き、同時に、進行方向に背を向けていた仁美は、伊丹駅の時のように後ろに倒れそうになるばかりか、横にも振られそうになった。思わず裕子の両手を握ってバランスを取ろうとした。
ハッと気がつくと、向き合っている裕子の肩越しにすぐ後ろに見える2両目の窓枠が、見る見る横にずれていく。それと同時に、車両の形は四角なはずなのに、菱形になっていくではないか。
《エッ、どういうこと?》
はじめは2両目が傾いていくのかと錯覚していたが、とんでもない、傾いていくのは自分が乗っている1両目だった。「キャーッ」「うわー」という悲鳴とともに、周りの乗客たちが倒れたりへたりこんだりして、右へ(進行方向に対しては左へ)滑っていく。
仁美は、裕子が進行方向の左側へ落ちていく勢いに抗し切れず、あっという間に握り合っていた両手が離れてしまった。その時、裕子が驚愕した目を見開いたまま、折り重なる人たちの上に落ちるのを目撃した。仁美から見て左側の椅子や吊り革にしがみついていた乗客たちも、次々に飛ばされるような形で右側の折り重なった人々の上に落ちていった。この段階になると、もはや叫び声ひとつ聞いた記憶はない。
仁美は懸命に足を踏んばって立っていようとしたが、車体が急速に傾きを増し、大きな力で首を斜め上に引っ張られたような感じがするや、身体が宙に浮いた。浮いたというより、飛んだ感じだった。
《やばい!》そう思った仁美は、反射的に身体をまるめ、大事な就職用の書類や財布の入ったリクルート鞄を両手で抱きしめた。車内の電気が消え、車体が砂利を削るような「ガリガリガリッ」という激しい音が響いた。
下手に何かにすがろうとすると、かえって危ないという思いが走り、目をぎゅっと閉じ、歯を食いしばり、ただ鞄を抱きしめて体を丸めた。