乗員乗客107人の死者を出した、JR史上最悪の惨事・福知山線脱線事故から20年。脱線・転覆の10秒間に、いったい何が起きていたのか。生死を分けたものは何だったのか。重傷を負った生存者にふりかかった様々な苦悩と、再生への歩みとは——。

 ここでは、遺族、重傷を負った被害者たち、医療従事者、企業の対応など、多角的な取材を重ねてきたノンフィクション作家・柳田邦男氏の著書『それでも人生にYesと言うために JR福知山線事故の真因と被害者の20年』(文藝春秋)より一部を抜粋。1両目に乗っていた女子大生の証言を紹介する。(全4回の2回目/1回目から続く)

福知山線の列車脱線現場 ©時事通信社

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引きちぎられ、窓から飛び込んできたフェンスをよじ登り

 人の山の上にいることに気づいた仁美は、このままでは下の人が動けない、申しわけないという思いで、暗くてよくわからないが、ともかく立ち上がった。倒れている人をうっかり靴で踏んで怪我をさせてはいけないと、ハイヒールを脱いだ。パンストがびりびりに破れていた。薄暗い中を見回したが、裕子はどこへ飛ばされたのか、姿が見えない。

 車両がめちゃめちゃに壊れているので、車両の姿勢がどうなっているのかもわからないが、進行方向の左上のほうに開口部があるのがわかった。開いている穴は、縦横1メートルもなさそうだが、その穴からなぜか、引きちぎられた黒いフェンスが斜めに垂れ下がっている。なぜそれがあるのかは、わからなかった。(車両にはそんなものはないから、おそらくマンション駐車場のフェンスが突っ込んできた電車によって破壊され、その一部が1両目の車両の窓から飛びこんだのだろう。)

《あのフェンスを梯子代わりにしてよじ登れば脱出できそうだ》

 気がつくと、すぐそばに、スプリングコートの女性と茶色っぽいスーツに眼鏡をかけた髪の薄い会社員風の中年男性と、もう1人、乗車した時からドアのところに座っていた2人組の高校生のうちの金髪の方の男子の3人が立ち上がっていて、上方に見える脱出できそうな穴の下に集まっていた。

 3人は無言だった。スプリングコートの女性が真先に、穴から下ろされたらしい黒いフェンスをよじ上り始めた。上のほうから白い作業服の男の人が下を覗くようにして姿を現し、手を差し伸ばした。女性の手が届くと、すーっと引き上げられた。(白い作業服の男たちは、いちはやく救助に駆けつけた近くの日本スピンドル製造会社の従業員たちだったと思われる。)

 フェンスの下には、やや昂奮気味の会社員風の中年男性がいて、「次はおれだ」と言わんばかりに、フェンスに手をかけて、我先にと必死の形相で登っていった。

 それを待っていた仁美は、最後まで手放さなかったリクルート鞄を右肩にかけ、フェンスに足をかけたが、フェンスは1人以上乗ったらずり落ちそうに思えたので、背後の高校生に、「1人ずつ、ゆっくりね」と声をかけた。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」みたいに、全員が地獄に落ちたらおしまいだ。