黒いフェンスを這い上がると、別の白いフェンスが突き出ていて、それをまたがないと、上に出られない。先に上った女性がどうやってまたいだかは見ていなかった。
下からは、金髪の高校生が見上げている。
「ごめんな」
仁美は高校生を見て口の中だけでそうつぶやくと、スカートがずり上がるのもかまわずに、大開脚をしてようやく白いフェンスをまたいだ。
上から白い作業服の男性が手を出してくれた。仁美は右肩から鞄をはずして男に受け取ってもらうと、自力でフェンスを上り切り、外に出たが、辺りは舞い上がった砂塵で薄暗く感じるほどだった。靴をぬいでいたので、大地を歩くと、足の裏にガラスの破片が突き刺さった。
目の当たりにした車両の惨状
そこではじめて電車の惨状を見た。自分が閉じこめられていた1両目は、マンション中地下の車庫に飛び込んで潰れていたこともわかった。どうりで暗かったわけだ。
気がつくと、口の中がじゃりじゃりしている。唾を含んでは地面に吐き捨てると、勝手に汚ない言葉が飛び出してくる。
「くそっ」
何度も同じことを繰り返して、口の中の異物をすべて吐き出した。
マンションの壁には、ぺしゃんこに潰れた車両がへばり付いて浮いている。
「あれは2両目かな」
などと思いながらぼーっと見ているうちに、気持ちも落ち着いてきた。作業着の男性が大勢いて、乗客の救出や救助作業をしていた。まだ、消防署の救急隊や警察署員らは来ていない様子だった。
靴がないので、やたらに動かないことにした。脱出した1両目の近くにいたので、1両目と2両目の潰れた残骸が間近にあって視界を遮り、列車の全体がどうなっているかはわからなかった。
《何時だろう》と、腕時計を見ようとしたが、どこではずれてしまったのか、なくなっていた。携帯電話を鞄から取り出し、110番にかけたが、話し中で通じなかった。
通りがかりだったらしい会社員風の男性がすぐ側で、警察に携帯で知らせているのが聞こえた。
「もう大変ですわ。とにかくすぐ来てください」
仁美が後で携帯の発信記録を調べると、110番にかけた発信時刻は、午前9時30分になっていた。仁美の携帯の時計は約8分進んでいたので、正確な発信時刻は、午前9時22分頃だったことになる。
電車がマンションに突っ込んだ時刻は、9時19分頃だったから、仁美は事故発生から3~4分後には脱出していたことになる。暗い潰れた車内での様子を回想で辿ると、10分も15分も経っていたように感じられるが、実際にはわずか3~4分にしか過ぎなかったのだ。1~2分の誤差はあるにしても、仁美は一番早い自力脱出者たちの1人であったことは確かだ。
