乗員乗客107人の死者を出した、JR史上最悪の惨事・福知山線脱線事故から20年。脱線・転覆の10秒間に、いったい何が起きていたのか。生死を分けたものは何だったのか。重傷を負った生存者にふりかかった様々な苦悩と、再生への歩みとは——。

 ここでは、遺族、重傷を負った被害者たち、医療従事者、企業の対応など、多角的な取材を重ねてきたノンフィクション作家・柳田邦男氏の著書『それでも人生にYesと言うために JR福知山線事故の真因と被害者の20年』(文藝春秋)より一部を抜粋。1両目に乗っていた大学生(当時18歳)の証言を紹介する。(全4回の4回目/1回目から読む)

脱線した事故車両から運び出される乗客 ©時事通信社

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内部にとこじめられた人々の救出に時間がかかった理由

 JR福知山線脱線転覆事故では、線路脇のマンション中地階の駐車場に飛び込んでぐしゃぐしゃに圧壊した1両目やマンションにへばりついた2両目の内部に多くの乗客が閉じ込められた。内部は暗く、マンション車庫の圧し潰された自動車からガソリンが流れ出ていて、金属を切断する電気ドリルや電動カッターやバーナーなどは、引火のおそれがあるため使えなかった。

 車体の破壊状態を見ると、こんなにも容易に潰れてしまうのかと、軽量化されたがゆえの薄っぺらさに愕然となるのだが、潰れた車体を、閉じ込められた乗客の救出のために切断しようとしても、電動カッターなどは使えないこともあって容易なことではなかった。

 閉じ込められた乗客たちは、身体に重い物がのしかかっていたり、何かに挟まれていたりするので、救助隊がむやみに残骸の撤去作業をすると、別の何かがのしかかってかえって乗客の生命を危うくするおそれもあったから、救助作業は時間がかかった。

22時間近くもかかった最後の生存者の救出

 近畿大学法学部1年になったばかりの山下亮輔は、1両目の残骸の中に閉じ込められた1人だった。両下肢が車両の壊れた部材のようなものに圧迫されていて、動くことができなくなっていた。救出されたのは、事故発生から18時間も経った26日午前3時過ぎになってからだった。

 この事故で最後に救出されたのは、同志社大学2年の19歳だった林浩輝で、22時間近くも経った26日午前7時過ぎのこと。山下が救出されたのは、その約4時間前で2番目に長い時間を残骸の中で生き抜いたのだ。

 救出に至る経過の最終段階を見ておく。