「困難な状況から立ち直る力」=レジリエンス

 JR福知山線脱線転覆事故の負傷者たちが示してくれたレジリエンスの力は、事故直後から1、2年の短期間に立ち直る場面と、5年、10年という長い期間にわたって苦しむPTSD(心的外傷後障害)からどう心身の安定を取り戻し生きる力を獲得するかという場面に分けられるだろう。

 何事にも始まりの動機と多様なプロセスがあるように、レジリエンスの発揚もいきなり全開とならなくても、その端緒をつかむことは、その後の展開に大きな意味を持つ。

 被害者たちは、春先のいまだ凍える大地から芽を出すふきのとうのように、事故現場の車内に閉じこめられ、ひたすら救出を待つ状況の中にあっても、絶望の魔手にからめとられるのを拒否し、残された身体機能と思考力を動員して、必死に救助される道を探ったのだ。

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 駐車場の中の暗い潰れた車体の中で、数人の重傷者たちが、生きて救出されるには、まず何をすべきかと、気持ちを鎮めて話し合ったということは、「困難な状況から立ち直る力」=レジリエンスの最初の小窓を開けた行動だと言えるだろう。

 身動きできなくても、互いに頭を使い、話し合って最善の道を探すという行動は、まさに支え合いの行為だ。連帯は弱者のレジリエンスの可能性を高める。

福知山線の列車脱線現場 ©時事通信社

走馬灯体験に引き込まれないよう心に鞭を打って

 亮輔は林浩輝がようやく見つけた携帯で家族と話をしているのを聞いているうちに、頭の中に、朝、家を出る時に言葉を交わさなかった母の顔が浮かんできた。さらにそれが引き金となって、幼い頃からの楽しかった母との思い出の情景が次々に湧いて出てきた。

《これって、走馬灯体験というものなのかなあ》

 懐かしむ感情が湧いてくる中で、情景は再びこの日の朝、家を出た時のことに戻った。前夜、新入生歓迎コンパで遅くまで飲んで帰ったことで機嫌を悪くした母は、今朝は「行ってらっしゃい」の一言もなかった。ツーンと寂しいような悲しいような感情がこみあげてきた。 

《いけない。そんな走馬灯体験に引き込まれるなんて、まるで死を予感してるみたいだ。懐かしがっている場合ではない、生きるんだ》

 亮輔は、自分の心に鞭を打った。

《ここにいます!》

《助かるんだ!》

 心の中で必死に叫び続けた。

 携帯で生存者がいると外部に伝えることができたことは、生き抜く意思を持続するうえで励みになった。

 だが、救助隊が現われる気配がない。時間がいたずらに過ぎていく。相変わらず、破壊された1両目前部の車内は、暗い。

 何時間も経ってから、ようやくガタガタする音や救助隊の声が聞こえた。下のほうで、残骸を少しずつ取り除ける作業が始まったようだ。

 救助隊がまず見つけたのは、亮輔の下のほうにいた林だった。

 突然、右下のほうで、何かが取り除けられ、穴が開いた。作業用の照明の明かりがその穴から差し込んできた。その穴からぼんやりとした明かりに照らされて、救助隊員の顔が見えた。左側を下に転覆した1両目車両の下側に高さが1メートルもないほどの空間があり、その空間に身体を滑り込ませた救助隊員が、破れた窓から内部を覗いたのだ。