20分ほど経つと、ようやく救急車とレスキュー隊が到着
仁美は不思議なほどどこにも重傷を負わなかったばかりか、驚くほど冷静に直後の現場の状況を目撃し続けた。
近くの会社から来たのだろう、事務職の制服を着たおばさんたちや近所の住民らしい人たちが、あちこちに座り込んだり寝ころがったりしている負傷者を懸命に介抱している。男性たちが車内から座席シートを運び出してきて、負傷者が座る場所を設ける。
20分くらい経ってからだろうか、ようやく救急車が相次いで3台到着した。さらに10分ほど経つと、消防署の文字の入った揃いのオレンジの作業服を着たレスキュー隊がやってきて、救出活動が一段と本格化した。
仁美ははじめのうちは、白い作業服の人たちがきびきびと作業をしているので、彼らをレスキュー隊だと思い込んでいたが、彼らはすぐ近くの工場から駆けつけた社員たちであることを知った。
「お前は生きとるん?」「生きているから電話してるんやん」
仁美は、母と弟のそれぞれに何度も携帯電話をかけていたが、ずっとつながらず、やっと弟のほうにつながったのは、事故から20数分経ってからだった。自宅にいて事故を知らなかった弟は、
「なんや」
と、さも迷惑そうに言った。
「電車事故に遭うたんや。ヘリが飛んでるから、テレビに映ってると思うわ。多分NHKとちゃうかな。テレビつけてみて」
仁美が淡々とした口調で言うと、弟は電話を切らずに、すぐにテレビをつけた。
「おお、なんかすごいことになってるやん」
「そうやろ、私そこにいるから、お母さんに言っといて」
「お前は生きとるん?」
弟にはまだ現実感がないのか、少しずれた感じだった。
「生きているから電話してるんやん」
そう言う仁美も、テレビに映し出されたような事故の全体像をまだつかめてはいなかった。事故や災害の真只中にいる被害者は、自分のいる局所しか見えないため、事態の全容はわからないものだ。
これは、報道に携わる取材者についても言えることだ。現場に入った記者は、リアルな現場の状況をレポートすることができても、全体の状況となると、むしろ中央のデスクのほうが多方面からの情報が集まるので把握しやすくなるのだ。それでもまず重要なのは、リアルな現場の状況なのだ。
弟との電話を切ってしばらくすると、母親から電話がかかってきた。母も自宅にいたのだが、固定電話で祖父と話していて、仁美からの携帯への電話に出られなかったのだ。しかし弟から事故のことを教えられると、驚いて仁美に電話をかけてきたのだった。
「おまえ、生きてるの」
母親も弟と同じような反応だった。
「生きてるから電話に出てるのよ」
「怪我はないの」
「大丈夫」
「とにかく迎えに行ってあげる」
「来んといて、大変な人でごった返してるから」
「着換えを持っていかないと困るでしょ」
「ここは緊急車両などでいっぱいになるから、一般人が来たら邪魔になるよ。来んといて」
仁美は、まだ21歳の学生だったが、自立心の強い娘だった。