ときには加害者と被害者の父親が並んで記者会見に出席する様子を、テレビで流したことも…。視聴率のためにエスカレートしていった昭和のワイドショー番組。その中心人物の1人である梨元勝氏の人生を、報道カメラマンとして活躍する橋本昇氏の新刊『追想の現場』(鉄人社/高木瑞穂編)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

ワイドショーの立役者・梨元勝氏の人生とは? ©文藝春秋

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恐縮です。梨本です

 2010年6月11日、芸能レポーターの梨元勝氏が入院しているという話を聞き、入院先の東海大学医学部付属東京病院を訪ねた。ドアをノックして入ると、梨本氏がベッドにちょこんと座っていた。聞くところによると、梨元氏は肺がん、しかも末期だった。

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病室の梨元勝氏 ©橋本昇

「恐縮です。梨本さん」と声をかけると、眼鏡の梨元氏が笑った。やつれ果てているのではと想像していたが、思いのほか顔色がいいのにも驚かされた。

 ベッドにはいくつかのスポーツ紙が所狭しと並べられていた。さらに部屋には見舞いの花が並べられ、甘い匂いが鼻をくすぐった。

 梨元氏は1944年、東京中野区に生まれた。そしてなぜか中学時代から埼玉県に住む祖父と同居した。

 そして法政大学を出た後、女性週刊誌『ヤングレディ』の契約記者となる。

 が、彼は他社の記者に特ダネを抜かれてばかりのダメ記者だったらしい。ある俳優から「何にもナシモト」と揶揄されもしたというが元々芸能記者という仕事が水に合ったのか次第に頭角を表すようになった。