1986年4月8日、飛び降りによって亡くなったアイドル歌手の岡田有希子さん(享年18)。人気歌手の突然の死は社会にどんな影響を与えたのか? そして、そこからうかがえる過熱報道の危うさとは…。朝日新聞編集委員で、昨年10月に亡くなった小泉信一氏の新刊『スターの臨終』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)

1984年3月21日に撮影された岡田有希子さん ©文藝春秋

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40人の若者が後追い自殺

 実はこの日の午前、ユッコは南青山の自宅マンションで左手首を切った上でガス自殺を図った。だが「ガスの臭いがする」という通報で警察署員らに救出され、近くの病院で手当を受けていた。飛び降り自殺は病院から事務所に戻った直後だった。付き人と一緒にいたが、目を離した隙に屋上から飛び降りたとみられる。

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 当時の記者会見で所属事務所の社長は「仕事も充実していたし、男友だちについても心当たりがない。ただ、感情の起伏の激しい子でした」と沈痛な表情で語っている。5月には新曲を発売する予定だった。

 自殺の理由や背景については、あまり触れないでおこう。人の心の内側はそもそも分からないし、岡田本人も分からなかったのではないか。

 彼女の自殺がセンセーショナルに騒がれた当時、全国各地で後追い自殺する人が相次いだ。「ユッコ・シンドローム」という言葉まで生まれ、社会問題になった。「ユッコみたいになりたい」と遺書に自分の思いをつづったり、部屋の机の上に相次ぐ若者の自殺を特集した新聞の社会面が広げてあったり……。岡田の自殺から2週間ほどで40人を超える若者が命を絶ったといわれている。

 報道も過熱していた。岡田が自殺した翌日の4月9日から11日までの3日間で、テレビの関連番組は25本。写真週刊誌は、目を背けたくなるほど痛ましい彼女の最期の姿を掲載した。

「アイドル歌手であったというだけで、どうして死んだ姿まで見せ物にならなければならないのか」

「“出版の自由”を盾にした金儲け主義。非人道的とも思える行為が多くの人を悲しませた」

 このような読者からの激しい憤りの声が事件のあと、朝日新聞の朝刊「声」欄に掲載された。