アイドルという枠を超え、1980年代の歌謡界を代表する歌姫として活躍した松田聖子。現在も多くのファンから愛される彼女は、離婚と結婚を繰り返す恋多き女性としても知られている。
なかでも世間を驚かせたのは、郷ひろみとの衝撃的な破局、そして、それから1ヶ月後の神田正輝との電撃婚だろう。あのとき、一体何が起こっていたのか。ここでは、『証言 タブーの昭和史』(宝島SUGOI文庫)の一部を抜粋し、関係者の声を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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なぜ松田聖子は郷ひろみから神田正輝に乗り換えたのか
1980(昭和55)年のデビュー以降、長きにわたって芸能界の第一線で活躍する松田聖子。2021年に愛娘の神田沙也加が転落死して以降、メディアへの露出は激減したものの、そのオーラはいまも失われることがない。
時代の顔であり続ける聖子の80年代におけるハイライトシーンは、やはり郷ひろみとの破局、そして神田正輝との結婚であろう。
「もし、今度生まれ変わったときには絶対いっしょになろうねって……」
郷ひろみとの破局記者会見で、この歴史に残るサヨナラの名文句を残したわずか1カ月後に神田正輝との婚約を発表するのだから「並の心臓」ではない。
聖子はなぜ、郷と破局し神田正輝に乗り換えたのか。それにはいまでも謎めいた部分が残されている。
当時を知る大手レコード会社幹部は語る。
信憑性のあるものからトンデモ説まで…破局の真相に様々な噂が
「公式説明としては、家庭に入ることを望んだ郷に対し、歌をあきらめ切れなかった聖子ということになっていますが、ウソではないにせよ、それが第一の理由ではなかったでしょうね。本質的な理由は、聖子が自分でも想像できなかったほど巨大な存在に急成長してしまった。それがさまざまな状況の変化を誘発したのではないでしょうか」
二人の謎めいた破局の真相には、いまでも信憑性のあるものからトンデモ説まで、まことしやかな噂が流れている。
「聖子は石原裕次郎の愛人で、別れるために神田正輝があてがわれた」
などという「説」が代表例だが、先の幹部は一笑に付す。
「ありえませんよ。当時の裕次郎は、本人には知らされていませんでしたが重い肝臓がんを患っており、そもそもそれ以前から解離性大動脈瘤の手術をしていて、とても愛人を追いかけるような体力はなかった。聖子と正輝の結婚があまりに意外だったので、そうした説が出てきたのではないですか」
松田聖子と郷ひろみの「熱愛」の伏線は、まだ聖子が芸能界にデビューする前にさかのぼる。