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 デビュー前、極寒の冬の海で行なわれた撮影で、5月の雑誌発売に合わせ、季節を先取りする形で薄着のまま海に膝まで浸かり、カメラに笑顔を向けるよう求められた。明菜も要求に応えようと努力はしたが、何度もダメ出しを受けるうちに、「だったら自分で入ってみたらいいじゃないですか」と本音を口にしてしまう。そのエピソードが、スタッフ間でも口の端に上るようになると、彼女の我が儘なイメージはマスコミを通じて増幅していく。決して本人に悪気がある訳ではないが、大人たちは“規格外のアイドル”を持て余していたのだ。

共演したタレントからクレームが入ることも

 明菜のマネージャーのもとには、彼女とラジオ番組などで共演したアイドルの所属事務所側から「明菜さんは台本にないことを突然話すので、ウチのタレントは、あまり一緒に出たくないと言っている」とやんわりクレームが入ることもあった。研音側も手を焼いている様子だったため、小田が敢えて苦言を呈すると、明菜は仕事場から姿を消し、行方をくらましてしまうこともあったという。

「北ウイング」(1984年)

「私はスケジュールを仕切る立場ではなかったですが、彼女の今後のこともいろいろ考えてアドバイスしたつもりでした。ただ、研音の野崎さんからは、『明菜に説教するの、止めて貰えませんか』と言われましたね。結局最後は帰ってくる訳ですし、私自身は、もともと洋楽部門の責任者をやっていてアーティストの我が儘には慣れていたので、彼女のことはちょっと癖があるという程度の認識でした。

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 私が1971年に、当時全盛だったレッド・ツェッペリンの来日ツアーに同行した時なんか凄かったです。新幹線ではメンバーから『何で他の客が乗っているんだ? 一両全部俺たちじゃないのか。冷蔵庫を置いてビール飲みながら行くって言っただろう』とキレられ、大阪のホテルでは土産に買った日本刀(模造刀)で掛け軸を切って警察沙汰になりました。それに比べれば日本の歌い手なんてカワイイものでした。

 彼女は自分の世界観で仕事をしていきたいタイプでしたが、そこに行き着くまでには、周りの大人が、明菜を憧れの存在になるよう組み立ててあげる必要があった」

中森明菜 消えた歌姫

西﨑 伸彦

文藝春秋

2023年4月11日 発売

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