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番組では、10位以内にランクインした歌手が全員出演する“フルゲート”も珍しいことではなかった。タイトルコールの直後から巻きの状態で、分刻み、秒刻みの緊張感のなか、タイムキーパーは発狂寸前である。その瞬間も常にディレクターは何パターンものシミュレーションを頭で描き、瞬時の判断で、記憶に残る場面を切り取ってみせた。
のちに“ベストテンの女王”と呼ばれる明菜もまた、その極限の演出によって歌手としての存在感を一層際立たせていったのだ。
その後も「少女A」の売れ行きは好調で、研音の野崎のもとには、ワーナーの寺林から「国内だけでは(レコードの)プレスが間に合わないので、海外に頼んだ」という報告まで齎(もたら)されるほどだったという。
カメラマンの逆鱗にふれた一言
しかし、一方では彼女の天邪鬼な性格が、時に現場を混乱させることもあった。
「少女A」のプロデュースを担当した元ワーナーの小田洋雄が語る。
「明菜の写真撮影に立ち会った際、彼女がカメラマンを指して、『小田さん、この人ラッキーだよね。私を撮って有名になるんだから』と言った時は驚きました。すでに一線で活躍しているカメラマンでしたが、明菜のその言葉を聞いて、彼のシャッターを押す手が止まり、『止めよう』と言い出しました。私は慌てて1時間の休憩を入れて説得し、何とか撮影を続けたのですが、彼女にはそういう奔放さがありました」
当時のアイドルのなかでも、明菜のストレートな物言いは、明らかに異質だった。新人アイドルは従順で、決して口答えしないものという先入観は、彼女には当てはまらなかった。