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ミニスカートとボディコン姿で当時の大学生たちをトリコに…評判がいいのに売れなかった中森明菜(58)『TATTOO』に“秘められたナゾ”

『中森明菜の音楽 1982-1991』より #2

2024/06/16
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 中森明菜のシングルが30万枚を切ったのは、デビュー曲『スローモーション』以来のこと……当時、評判を集めたのにもかかわらず、大きなセールスにはつながらなかった中森明菜、80年代の代表曲『TATTOO』。そこから伺える時代の変化とは――。 80年代の音楽史に詳しい音楽評論家のスージー鈴木氏による新刊『中森明菜の音楽 1982-1991』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

(写真:YouTubeチャンネル「AKINA NAKAMORI OFFICIAL」より)

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1988年の中森明菜

 発売から3カ月ほど後の88年の夏休みは、昭和最後の夏休み。私は軽井沢で行われる大学のゼミ合宿に向かった。ゼミの先生に加えて、私たち3年生と一学年上の4年生が参加する合宿。経済学科だったこともあり、参加メンバーは全員男性。

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 当時の就活は4年生になってから行うものだったが、合宿に参加する4年生は全員、就職が決まっていて、かなり浮かれている(言うまでもなく、バブル期のことである)。

 夜はお決まりの宴会となり、深夜まで果てしなく続く。4年生は3年生に、無理やり芸をさせる。私も何か披露したはずなのだが、憶えていない。

 そんな中、同学年のFが、この『TATTOO』を歌い踊りながら、少しずつ服をはだけていくというネタを披露したのだ。そしてかなりウケた――と、書いていて、実につまらなく・くだらないエピソードだと思いつつ、今回は、こんな個人的な記憶から始めてみた。

 言いたいことは、この曲が、(バカ)男子大学生が、そういう場でそういう形で「使う」ほどに広がったこと。なぜか。

 まずはファッション。中森明菜が、当時流行っていたボディコンシャスな衣装に挑戦。また『ミュージックステーション』では、これもこの年流行ったひまわりをまとった回もあり、強烈なインパクトを残した。

強烈なインパクトを残した当時の中森明菜(写真:Amazonより)

 そして言うまでもなく、何といっても私たち、男子大学生の話題をさらったのがミニスカートと美脚。言葉本来の「セクシー」によって、「ちょっと遠い『アーバン』世界に行っていたように見えた中森明菜が帰ってきたぞ感」をもたらしたのだ。

 また音楽的にも、実はシンプルな作りである。『DESIRE-情熱-』以来といっていいシンプルさ、ストレートさ。キーはF♯m(『DESIRE-情熱-』と同じ)で、コード進行も分かりやすい。サビでメジャー(D)に転調するものの、技巧的な感じはなく、むしろキャッチー。ある意味『AL-MAUJ』の分かりやすさ・歌謡曲感の継続といえる。

 ただ、一筋縄で行かないのは、楽曲全体のアレンジがスウィングジャズ・テイストになっていることだ。テンポの速い高速スウィングは、イントロから聴き手を戸惑わせる。また、イントロから頻出し、「あわれなアンドロイド」など歌メロでも顔を出すブルーノート(C)の音も、大人っぽいジャズ感を醸し出す。

 作曲の関根安里は語る。