元会社員で、現在はブログ「じぶんぽっく」を運営しながら、「社会人の心の守り方」などについて発信している後藤迅斗さん(30代)。彼は大学院を卒業後、車の設計開発職に就いたが、社内で横行するパワハラに苦しめられ、適応障害と診断されたという。

 実は、後藤さんが酷く追い詰められるのはこれが初めてではなかった。育った家庭環境や両親の態度も、彼に負荷を与え続けていたのだ。そしてある日、思いつめた後藤さんは友人・知人たちに「さよなら」とメッセージを送る――。

 この記事はノンフィクションライター・旦木瑞穂さんの取材による、後藤さんの「トラウマ」体験と、それを克服するまでについてのインタビューだ。過去のトラウマが影響して、また新たなトラウマを生む……現代社会の「生きづらさ」を生み出す負の連鎖について考えてみたい。(全3回の3回目/最初から読む

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後藤迅斗さん 本人提供

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「愛されていたんだ…」

 自分の部屋に逃げ込み、一心不乱にLINE、Twitter、ブログなどにお別れの言葉を書き込むと、たちまち返信の通知音が鳴り出し、止まらなくなった。

 びっくりしてしばらく返信に目を走らせていると、下の階が騒がしい。耳を澄ますと、警察が来ているようだ。

 祖母と妹が「ちょっと飲みすぎただけですので……」と言って対応している。どうやらお別れの言葉に気がついた友人が、心配して110番通報してくれたらしい。

「僕はもう、憔悴しきっていて、声も出ませんでした。部屋からも出ませんでしたし、電話がかかってきても出ませんでした。文章を打つのがやっとだったので、もらった返信に対してさらに返信していると、大学の軽音学部時代の友人と後輩がわざわざ片道30kmの距離を駆けつけてきてくれました」

 警察は帰っていた。迅斗さんは駆けつけてくれた友人と後輩と、明け方まで話し込んだ。

「その後輩は、部活を一時期辞めたいと言っていて、僕がずっと相談に乗っていました。結果、卒業まで続けることができ、『おかげで大学生活を謳歌できた』と。その恩もあって駆けつけてくれたみたいです。この時に様々な友人たちから連絡が来て、正直、驚きを隠せませんでした。7割ぐらいは大学時代のバイト先と軽音楽部の人でしたが、ブログや趣味繋がりで仲良くしていた人からも結構な数の連絡がありました」

「迅斗さんがいたから救われたんです」

「迅斗さんのオフ会、楽しみにしてたんですよ」

 駆けつけることはできなかったが、後日飲みに誘ってくれた友人もいた。

「僕はこんなにたくさんの人から愛されていたんだ……」と気が付き、励まされた迅斗さんは、年末年始の休み明けから資格取得のために、図書館に通い始めた。

 そして1月末には、評判が良く、3ヶ月待ちだった病院を受診。30代くらいの男性医師は、フランクな雰囲気で迅斗さんの話に耳を傾けた。それまでかかっていた心療内科の医師より、その病院の医師の方が相性が良いと感じた迅斗さんは、回復への兆しが見えた気がした。

燃え尽き症候群

 2020年9月。10ヶ月の休職期間が終わると、迅斗さんは会社を辞めた。