ブログ「じぶんぽっく」を運営しながら、「社会人の心の守り方」などについて発信しているフリーランスの後藤迅斗さん(30代)。彼は大学院を卒業後、車の設計開発職に就いたが、社内で横行するパワハラに苦しめられ、適応障害・うつ病と診断されたという。

 実は、後藤さんが酷く追い詰められるのはこれが初めてではなかった。育った家庭環境や両親の態度も、彼に負荷を与え続けていたのだ。そしてある日、思いつめた後藤さんは友人・知人たちに「さよなら」とメッセージを送る――。

 この記事はノンフィクションライター・旦木瑞穂さんの取材による、後藤さんの「トラウマ」体験と、それを克服するまでについてのインタビューだ。過去のトラウマが影響して、また新たなトラウマを生む……現代社会の「生きづらさ」を生み出している負の連鎖、その正体に迫る。(全3回の1回目/続きを読む

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1歳の後藤迅斗さん 本人提供

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「あなたなんか産まれてこなければよかった」

「あなたなんか産まれてこなければよかった」

 関西在住の後藤迅斗さん(30代)は、5~6歳くらいの頃に父方の祖父母からこう言われ、深く傷ついた。

「実は僕、言葉を話すのが周囲より遅かったんです。3歳から6歳くらいまで、リハビリセンターに月に1度通っていました。今振り返ればASDの兆候だと思いますが、当時はちっとも言葉を話せない僕を囲んで、親戚中が大揉めに揉めたのを今でも覚えています」

 5~6歳で大勢の親戚の大人に囲まれた上、自分のせいで大人たちが口論のような状態になったら、心細いことこの上ないだろう。自分の息子に対して冒頭のようなことを言われ、迅斗さんの両親はどうしたのかといえば、信じ難いことに、何もしなかった。

「父は子どもの教育に無関心で『仕事がつまらない』『会社を辞めたい』と日常的に愚痴をこぼしたり、家庭内DVを繰り返していました。DVというのは、主に無視や、『あれ持って来い』『これを誰々に渡せ』などといった命令です。母には『味が薄い』『おかずが少ない』など、食事についての文句を頻繁に言っていました」

 両親の出会いは大学時代のテニスサークルだった。卒業後は2人とも金融系の会社に就職し、25歳の頃に結婚した後、母親は退職。26歳で迅斗さんを、4年後に妹を出産している。

「母はプライドが高く、僕や妹を周りの子と比べたがりました。成績が悪いと『バカめが』と言って見下し、すぐに『あの子はサッカーが上手い』『あの子の方が勉強ができる』『あの子はモテる』と言って僕を貶めました。父はよく、僕をスーパー銭湯に連れて行ってくれたのが子どもの頃の良い思い出ですが、あまり会話はなかったです。正直、母との良い思い出はありません」

 母親は、迅斗さんが「ピアノがしたい」と言うと、「女友達ばかりできるからダメ」、「野球がしたい」と言えば、「協調性が身につかないからダメ」と却下され、結局習わせてもらえたのはサッカーだった。

「全く楽しくありませんでした。サッカーの試合を見ても何とも思わないし、うまい選手のプレーを研究しようとも思えない。自分は冷めてる人間、向上心がない人間なんだと思い、ますます自分が嫌いになっていきました」

 小学校に上がるか上がらないかの頃にようやく言葉を話すようになった迅斗さんだったが、学校の成績は良かった。そんな迅斗さんに期待を抱いたのか、母親は中学受験を勧める。

「勉強ができること」が生まれて初めての自信となっていた迅斗さんは、母親の勧めるままに中学受験に挑んだ。