好きなものとの出会い
そんな中、中学3年生になった迅斗さんは、寝食も忘れるほどのめり込めるものと出会う。
「インターネット」だ。
迅斗さんは自身のホームページやブログを立ち上げ、毎日更新するようになった。
一方で、母親からは学校の成績について、顔を合わせるたびに文句を言われる。
その上「私の子なのに、なんで彼女いないの?!」と蔑まれた。
「自分の息子が男子校に通っていると知っていながらです。そもそも子どもの恋愛に口出しするなよって思いました……」
筆者が想像するに、迅斗さんの母親には自分の理想の子ども像があり、そこから少しでも外れるのが許せなかったのかもしれない。
高校に進んだ迅斗さんは、2年生になった途端、突然スイッチが入る。猛勉強をし始め、見事、国立大学に合格した。
幼い頃から車が好きだった迅斗さんは、機械工学科を選んだ。
大学前半は、軽音楽部に入部したものの、自分に対する自信のなさから親しい人間関係を構築することができず、コンプレックスを拗らせていた。だが、大学後半に一念発起して「社畜の連勤術師」というバンドを結成。そこから一気に交友範囲が拡大し、西日本一周や北海道一周旅行に出かけたり、部活外でバンド活動をしたりと、充実した大学生活を送った。
そして大学院修士課程を卒業した迅斗さんは、24歳で自動車関連の大手メーカーに設計開発職として就職した。
家でも会社でも辛い
ずっと大好きだった車の仕事に就くことができ、期待に胸を躍らせて働き始めた迅斗さんだったが、次第にその期待は裏切られていく。
「その会社が体育会系の社風であることは、業界でも有名でした。でも、就活生のときはそこまで事情がわからず、ここまで合わないとは思いませんでした。日々、上司から個室で説教を受けるなどのパワハラが横行している現実に直面するとともに、車が好きなのに機械設計の仕事にやりがいを持てない自分に気づき、心の中で葛藤しながらも『好きな車のためなら……』とギリギリの一線で踏ん張っていました」
そんな時期に迅斗さんは、偶然信じ難い光景を目の当たりにする。
母親が見知らぬ男性を自分の車に乗せ、車の中で親しそうに話していたのだ。
最初はパート先の同僚か上司だろうと思い、頭の中に浮かんだ良からぬ想像をかき消したが、その後も何度か母親が同じ男性と一緒にいるところに遭遇。次第に母親と顔を合わせることに耐えられなくなった迅斗さんは、逃げるように実家を出て一人暮らしを始めた。
「母は、分譲マンションを購入して引っ越してから、隣人の迷惑行為の影響か、どんどん酒浸りになっていきました。パートから帰ってくるとワインを1本あけながら、単身赴任中の父のことを『あいつは不倫している』『不倫が原因で転勤になったんだ』と口汚く罵っていました……」

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