世界的巨大ターミナルから1日に数人しか使わないような小駅まで、日本には9000もの駅があるという。日夜乗っている電車の終点もそんなたくさんの駅のひとつだが、えてして利用者の多くはその手前の「いつもの駅」で下車してしまう。
そうした様々な終着駅を歩き続けた鼠入昌史氏の著書『ナゾの終着駅』より、一部を抜粋して掲載する。上野東京ラインや湘南新宿ラインでよく見かける「籠原」を訪ねたところ、あまりにひっそりした様子……。しかし、その印象はお隣である“一帯の本家”の「熊谷」を訪ねることで一変することになった――。
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熊谷駅の中心は、北口だ。まさに立派な駅前広場と商業施設(駅ビル)があり、さすが埼玉県北部の中心都市の玄関口。タクシーが客を待っている駅前広場の真ん中には、騎馬武者像が鎮座する。
この騎馬武者は熊谷直実といい、源平合戦では頼朝方に与して一ノ谷の戦いで平敦盛を討ち取ったという逸話を持つ。いまの熊谷市内に居を構えて治めたいわば郷土の英雄だ。
熊谷直実の像の脇には、「ラグビータウン熊谷」なる文字も。駅前広場の片隅には、妙にリアルででっかいラグビーボールのオブジェもある。熊谷にはラグビーの専用競技場があって、2019年のワールドカップでも試合が開催されていた。熊谷は、ラグビーの町なのだ。
ラグビーの他に熊谷の町を特徴づけるもうひとつのポイントは、かつての宿場町ということにある。JR高崎線は、おおよそ旧街道の中山道に沿って走っている。江戸時代までは東海道と並ぶ日本の東西を結ぶ大動脈のひとつだ。そして、熊谷には板橋宿から数えて8番目の宿場が置かれていた。
旧街道は大動脈としての役割を新参の国道に譲り、だいたい細い路地のような道筋に受け継がれていることが多い。だからいくらかは古い雰囲気が残されていたりして、宿場町情緒をほんのりと感じることができる。
ところが、この熊谷のあたりでは国道17号がそのまま旧中山道。とうぜん幅の広い大通りで、クルマ通りも多いから旧街道の時代の面影はすっかり消え失せてしまっている。