父親は愛知県庁に勤める公務員、親戚の中には東京大学出身の裁判官も――。そんなエリート家庭で生まれながら不良の道に進み、ついには“日本最初の女ヤクザ”になってしまった西村まこさん。今では更生を果たし、地域住民からの信頼も厚いNPO法人「五仁會」(主な活動内容は暴力団および非行少年の更生支援など)の広報として活躍する彼女だが、そこに至るまでにどんな人生があったのか? インタビュー初回では、「彼女が育った家庭環境」について聞いた。(全6回の1回目/続きを読む)
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「体罰も当たり前…」西村まこが不良になった理由
――いわゆる“教育虐待”に当たるような厳しいご家庭で育ったと聞きました。
西村まこ(以下、西村) うちのお父さん、怖かったですよ。学校のテストは100点取るのが当たり前で、点数が悪いと竹の棒でビシビシ叩かれるんです。食事のマナーにも厳しくて、少しでもお箸の持ち方が変だったり、物を食べているときに音を鳴らすと、やっぱりビシッと叩かれました。
うちのお父さんは、小さい頃に両親を事故で亡くして、結構な苦労人だったんです。親戚の家をたらい回しにされる中でも必死に勉強し、働きながら夜間大学を卒業して、県庁の職員になりました。すごく努力して身を立てた経験があるからこそ、子どもたちにも勉強してほしかったんでしょうね。スパルタ教育がイヤでイヤで仕方なかったですが、年齢を重ねてお父さんのすごさがわかりました。
――お父様は公務員だったんですね。
西村 そうそう。愛知県庁でわりと偉かったみたいですよ。おじいちゃんは勲章をもらっているし、実はエリートの家なんです。
――まこさんだって、ヤクザの世界のエリートじゃないですか!
西村 あはは、こんなになったのは私だけです(笑)。
――そんなお堅い家庭の娘さんがなぜ不良に……?