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西村 中学2年生のときのクラス替えで、ちょっと不良っぽい子と仲良くなったのが始まりでした。親が選んだ地味な服を着ている私にとって、その子が流行りのオシャレな服を着て髪を巻いているのは衝撃的で、どうしても真似したくなった。振り返ってみると、ファッションが不良の入り口でしたね。その子の家に遊びに行ったら、親も理解がある感じの親で、子どもと仲良く談笑しているわけです。「うちとはぜんぜん違う!」と何もかもが新鮮でした。

――ファッションが入り口となって、行動も不良化していったわけですね。

西村 性格が極端なんですよね。ファッションだけで満足できず、普段の行動から不良になろうと、家出にタバコ、車の盗難と、どんどんワルの道に進んでいきました。当時は、「補導されるくらいがかっこいい」と思っていました。地元で毎日ケンカ三昧でしたね。われながら強かったんですよ。危なくなるとそのへんの鉄パイプとかモノ使うから結局負けない。メリケンサックも使いましたね。あの頃、通販でよく売ってたから(笑)。

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街の不良がなぜヤクザに?

――どのように街の不良から、本職のヤクザになったんですか?

西村 ケンカの強さが評判になって、「入れ墨女」とかあだ名つけられたり、デートクラブを立ち上げて稼いでいたりしたら、向こうからスカウトされました。最初は稲川会に声をかけられたんですが、あまりついていきたいと思える相手ではなかったので断りました。その後、「この人なら」と思える親分に出会って、住吉会の系列である杉野組に入りました。

「私はワルを極めたかった」 ©細田忠/文藝春秋

――普通の不良は、「ハタチくらいでワルは卒業」みたいに考えるものですが、まこさんはそうじゃなかったんですね。

西村 どうせやるからには一番になりたい性分なので、私はワルを極めたかった。まぁ、さすがにスカウトされるとは思っていなかったけど、もともとヤクザの世界に興味はあったので、声をかけられたときは嬉しかったですね。