ゴリラ研究の第一人者・山極寿一さんが新著『老いの思考法』を上梓した。老いの日々を「寂しい」「苦しい」と感じる人も多いなかで、人生後半戦の捉え方が一変する画期的な一冊だ。現代社会でどう老いたらよいのか話を聞いた。

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山極寿一氏 撮影・鈴木七絵(文藝春秋)

長寿国だが“老いは邪魔もの”な日本

――今回なぜ初めて「老い」をテーマにした本を書かれたのでしょうか?

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山極 僕が長年付き合ってきたゴリラたち――目をかけて記録をしてきたオスのシルバーバックたちが、ここ数年、老いの時を迎えて次々に亡くなっていったんですね。彼らが先に死んでいくのを見て、人間の進化史の中で、老いがどのような形で社会に貢献してきたのかを真面目に考えてみようと思ったんです。

 もう一つはアフリカで付き合っていた調査隊の仲間たちが、もうほとんど亡くなってしまったこともあります。日本では人生100年時代なんて言われているけれど、アフリカの人たちは寿命が短い。先進国で老年期がどんどん延びているなかで、人間としてどういう生き方がまっとうなのか見つめ直したかった。日本では寿命こそ延びているものの、むしろ「老いは邪魔もの」で、その日々を楽しんでいない高齢者も多いですから。

――辛そうだったりイライラしたりしているお年寄りが多いですね。

山極 社会の片隅に追いやられているという不全感をもった方が多いのでしょう。でも、アフリカの僕が付き合ってきた高齢者の人たちは、老いの時間こそ短めだったけれど、みんなに尊敬されて、子どもたちにも慕われていました。そういう文化がかつて日本にもあったと思います。

ガボン共和国の調査隊の人々と共に ©山極寿一

 日本の医療はとにかく寿命を延ばそうと、しゃかりきになって数値目標を追ってきました。ただ老いの期間を延ばすことにいそしみ、その時間の質を置き去りにしてしまった感が否めません。われわれの超高齢社会の実態は果たして世界に誇れるものなのか、根本から老いのあり方を見つめ直すときに来ているのではないでしょうか。

 高齢者と子どもの時間の使い方はとてもよく似ています。生産性や効率性を考えずに、刻々と変化する自然に心身を合わせるような時間は幼少期と老年期に特徴的です。現代社会の性急な時間の使い方を考え直すきっかけを高齢者はつくり出せるし、自然のような予測できない変化に対処する知恵は、高齢者こそ次世代に伝えられる身体知です。 

 これからの時代はあらかじめ決められたことを知識で学ぶよりも、未知のものに適切に対処する学びのモデルが求められていると思います。老人が学びの場ではたせる役割は大きい。