40~50代の中年期に、仕事や家族、自分の将来について思い悩む現象「ミッドライフ・クライシス」。現在48歳のアジアンさんも、この現象に直面したひとりだ。
自分の人生の先行きに不安を感じたアジアンさんは、一部上場企業を43歳で退職。現在は車中泊をしながら“放浪生活”を送っている。自身のYouTubeチャンネル「アジアンビーチチャンネル」では、日常生活や旅の様子を発信している。
なぜアジアンさんは、安定した職と収入を捨てる決断をしたのか。当時、どんな不安や悩みを抱えていたのか。話を聞いた。(全2回の1回目/2回目に続く)
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就職氷河期の真っ只中での就活
――ちょうど大学を卒業する頃は2000年頃ですよね。
アジアン 就職氷河期の真っ只中でした。就職活動を始めたのが非常に遅くて、12月頃だったんです。卒業できると確信できたのがそのくらいだったので。すでに大企業はどこも採用を終えていたから、まだ募集しているところを探してという感じです。
学部は経営工学部で、専攻はマーケティングだったんですけど、これからはパソコンを使えないといけないということで、プログラマーの仕事に絞って就活しました。結局、5社受けて2社に内定をいただき、入社したのは10人程度の規模の会社です。
泊まり込みで仕事をしても残業代は支払われず
――入社した会社ではどんな仕事をしていたんですか。
アジアン 自分の会社で開発をするのではなくて、他社に助っ人に行ってました。プログラミングの納期が近づいてくると、間に合わせるためにどの会社も人海戦術になってくるんです。納期の3ヶ月くらい前からは戦場になるので、そこに呼び出される。
出社したら、朝の時点で終電より前に帰れる雰囲気ではなく、1ヶ月前になると会社に泊まり込むのが当然になります。本当に家に帰れない日々が続くんです。
やっとデスロードが終わって待機期間になったとしても、バグの修正があったりして、休む暇はあまりありません。そうしているうちに、今度は違う職場に助っ人に行くことになる。その繰り返しです。プログラミングの知識を深める時間もないんですね。日々の仕事に追われて。
――残業代はちゃんと支払われていたんですか。
アジアン 自分の会社は年俸制だったので、いくら働いても残業代はいっさい出なかったですね。終電を逃したとしても、当然ホテル代も出なかったです。
同じ職場に派遣されていた別の会社の人たちが「これだけ働いて残業代がすごい」「ボーナスがすごい」と話しているのを聞いていましたが、それに対して特に何かを思うこともなく。もうその頃には感覚が麻痺していました。