「将来を悩む気持ちはまったくなかった」オーストラリア生活を通して感じた心境の変化

――オーストラリアではどんな生活をされていましたか。

アジアン とりあえずやりたいことを最優先にしたので、オーストラリアの海でサーフィンしてみたいと思って。その先のことはあまり考えていませんでした。オーストラリアで生活していれば、目的や目標が見つかるんじゃないかと思っていたんですけど、結局は見つからずに日本に戻ってきました。

 でもビザが切れる頃には、将来を悩む気持ちはまったくなかったですね。やっぱりサラリーマンは現実的な悩み方をしてしまうけど、僕は無職で背水の陣だったので、逆にすっきり物事を考えられたというか。「なるようになるだろう」くらいの気持ちでした。

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 将来に対する不安なんてほとんど当てにならないなんていいますけど、オーストラリアに行って、そのとおりだなと思いました。だから帰国するときも、将来のことは自分のやる気次第でどうにかなるだろうと思っていました。

海外を旅するアジアンさん(写真=本人提供)

一部上場企業に転職…40歳を超えて無力感を抱くようになったワケ

――帰国後に転職活動を始められるわけですよね。

アジアン ワーホリに行って、長く海外にいるのがすごく楽しいと思うようになったので、なるべく長く休みが取れる会社を探して。転職活動を始めて1社目で、一部上場企業の自動車部品メーカーに採用されました。その会社は、GW、お盆、年末年始に1週間以上の休みがあるんです。そういう長期休みには、必ず海外旅行に行っていました。

――その会社では、どんな仕事をしていたのでしょうか。

アジアン 大きな会社だったので、いろんな部署があって。最初は生産管理、次は試作課、最後は購買部と渡り歩きました。でも、40歳を超えたあたりで、このまま働いていると収入がこれくらいで、60歳になったらこのくらい収入があって、というのが全部見えるようになってしまって。その未来が、自分が思い描いていた幸せな未来と乖離があることに気づいてしまったんです。

――ちなみに、当時の収入はどれくらいだったのですか。

アジアン そのときの年収は500万前後でした。ただ、働いても働いても収入が上がらない無力感もあって。60歳までこの会社で働き続けても、自分は幸せにはなれないと思ったんです。

 今も独身なんですけど、当時は「もし結婚できなかったとしても、このままアパート暮らしからはどうやら抜け出せそうにない。定年になっても働かざるをえない」と感じていて。チャンスがあればまた人生を変えてみたい、と漠然と思うようになりました。