福岡県に住む北條みすづさん(32)は、目のがんのため生後すぐに左目を摘出、右目の視力も「調子がいい日で0.02」と弱視で、最も重い1級の障害者手帳を持っている。
盲学校ではなく普通校に進んだ小中学校時代の悩み、それを親や教師に打ち明けられなかった苦しさを語った。(全4本の2本目/3本目を読む)
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──視力0.05だと、学校の授業などは大変だったのでは。
北條 そうですね。授業中は単眼鏡(離れた距離を見るときに使う望遠鏡)とルーペを使って、どうにか他の子と同じように受けていました。黒板を見るときは単眼鏡、ノートを見るときはルーペという感じで。
──体育の授業などは?
北條 球技だけはさすがに苦手で見学しましたが、それ以外の種目は同じように参加していました。縄跳びや鉄棒もやったし、運動会も普通に。
先生が注意して見てくれたのもありますが、私の性格的に、他の子ができて自分ができないのがくやしいタイプで。
「左目がないことで特別扱いされたくなかった」
──負けず嫌いなんですね。
北條 それに小学校の頃はまだ、自分の見え方が他の子とどう違うのかわかっていなくて。左目がないことで特別扱いされたくなかったし、みんながやっていることは私もやる、という感覚でした。とはいえ、周りからは怪訝な目で見られていたと思います。
──どうしても目立ってしまうところはありますよね。当時も眼帯をしていたのですか?
北條 小児がんの治療は終わっていたので、眼帯は3年生ぐらいで外したんです。眼帯を貼るサージカルテープは汗でかぶれて痒いし、はがれたときに貼り替えるのも面倒になってきて。