──それは完全にイジメですよね。

北條 小学校5、6年ぐらいまでそんな状態でしたね。でももっと辛かったのは、バイキン扱いされることでした。

──バイキン。

ADVERTISEMENT

北條 汚いものとして扱われる感じですね。授業中に先生が「隣の人と机をつけて」と言ってもすき間を空けられたり、一緒の班になった子に露骨に嫌な顔をされたり。「汚い」「うつる」と直接言ってくる子もいました。こういう心理的なストレスは、物を隠されるなどの直接的な嫌がらせよりも辛かったです。

現在の北條さん(本人提供)

──しかも、親や先生にも頼れなかった。

北條 先生に伝えたこともあったんですが、しばらくすると同じことの繰り返しで。

 私の目の状況は病院から学校に伝えられていましたけど、担任の先生は毎年変わるので、ちゃんと対応してくれる年もあればそうでない年もあって。「私の見えづらさを、普通に見えている大人がどこまで理解してくれるかわからない」という、諦めに似た気持ちもありました。だから何かあっても、自分で飲み込んで消化しなきゃと思っていました。

──それでも先生には、親よりも先に言えたのですね。

北條 中学生になって、スクールカウンセラーの先生に人間関係の悩みを話してみたんです。そのとき「親御さんに相談しないの?」と聞かれたので「前に『友達の問題は自分で解決しなさい』と言われて、親には話さない」と答えたら、それが学校から親に伝わったようで。親は「そういうつもりじゃなかった」という感じで、一応謝ってくれました。

──わだかまりは解けましたか?

北條 気持ち的には落ち着きましたが、その後は親が学校に対してモンペ(モンスターペアレント)っぽくなってしまって……。親がクレーマー気質なのは薄々気づいていたので、私は大ごとにならないよう、あえて親に伝えなかった部分もあったんです。だから「そういうのじゃなくて、平穏に過ごさせてほしい」と思っていました。

中学も普通校へ進学、でも「ついていくのがだんだん厳しくなりました」

──中学校も普通校へ通っていたんですよね。

北條 近所の公立中学校です。ただ、中学生になると「自分は他の人よりもモノが見えていない」と感じることが増えました。教科書の文字は小学校よりぐっと小さくなるし、勉強量も増えて授業のスピードが上がって。

 一応、地域の盲学校や療育センターで補装具や拡大教科書を使う訓練を受けていたんですが、ついていくのがだんだん厳しくなりました。

10代の頃の北條さん(本人提供)

──拡大教科書というものがあるのですね。

北條 視覚障害者向けに、文字を大きく印刷した教科書があるんです。でも私のときはメインの5教科分だけで、それ以外の教科や副教材はルーペで見るしかなくて。今思えばもどかしいこともいっぱいありました。

 ワークブックの小さい文字が読めないので先生に拡大コピーをしてもらうんですが、ゴシック体の文字は太いから読めるけど、明朝体は読みにくいんです。でも、ただでさえコピーをお願いしているのに「この部分だけもっと拡大してほしい」など注文をつけるのは申し訳ない気がして、あまり言えませんでした。