──外すことに恐怖感はなかったですか?

北條 「左目はなくても自分は自分」と思うようにしていました。とはいえ、入学時からずっと眼帯をしていたので目立っていたと思うんですよ。しかも眼帯を外したことで「片目がない」と言ってくる子もいて、私はずっと受け流していました。

 ただ、視力が低いせいで困ることが増えてきたんです。

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──どんなことでしょう。

保育園時代の北條さん(本人提供)

北條 たとえば、教室で誰かが変顔をして笑いが起きても、私は見えないから状況がわからないんです。「ギャグを言う」とか耳に情報が入るものならいいんですけど、視覚的な内容は私1人だけついていけなくて。

 でもみんなが笑っているから、私も周りに合わせて一緒に笑おう……ということが毎日のようにありました。

──とりあえず周囲に合わせようと。

北條 そうやって徐々に他人の顔色や状況を窺う性格になってきたので、先生に頼みたいことがあっても「見えないのでこうしてほしい」とはあまり言えなかったですね。授業以外のことは特に。

保育園時代の北條さん(本人提供)

親に言われた「自分で解決しなさい」という言葉の影響

──親を通して希望を伝えてもらうなどは難しかった?

北條 たぶん、保育園の頃に「自分で解決しなさい」と言われたことが影響していると思います。「周りはどうして私を助けてくれないんだ」という気持ちもあったけど、それを見ないふりをしていたような。「嫌なことがあっても、毎日この学校でやっていかなきゃいけないんだから」と納得させて、自分でどうにかしようと思っていました。

──思いつめていたのですね。

北條 今思うとそうですね。親切な友達もいましたが、意地悪な子もやっぱりいたので、学校では常に緊張感はありました。たとえば、教室の中で足を引っ掛けられるなどは日常的でした。最初は文句を言いましたが、そのうち「言っても通じないな」と思い、何かされても相手にしないようにしたんです。

 すると向こうは「こいつ反論しないぜ」とエスカレートして。物を隠されたり、陰口、仲間外れなどの嫌がらせを受けるようになりました。