2016年、大阪市に日本初の民間小児ホスピス「TSURUMIこどもホスピス」が誕生した。「TSURUMIこどもホスピス」では、難病の子供に苦しい治療を強いるのではなく、短い時間であっても治療から離れ、家族や友人と笑い合って生涯忘れえぬ思い出を作る手助けをしている。そしてこの施設の立ち上げには、命に限りのある子供たちの尊厳を守るために、多くの人々が携わっていた。

 ここでは、民間の小児ホスピスをつくるために奮闘した人々の記録を綴ったノンフィクション作家・石井光太氏の著書『こどもホスピスの奇跡』(新潮文庫)より一部を抜粋。ホスピスの設立に尽力した医師・原純一氏は、小児医療への違和感を抱いていたある日、一組の家族と出会う。その出会いによって、彼は“新しい気づき”を得ることになるのだ――。(全2回の2回目/前編を読む

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膨らんでいく医学の価値観に対する違和感

 1990年代の半ば、阪大病院は大阪市福島区の堂島川沿いの土地から、吹田市に移転していた。大阪万博が開かれた万博記念公園に隣接した緑の多いニュータウンで、大学の敷地内には医学部の他、歯学部、薬学部、工学部などの校舎が建っている。

 原は脂(あぶら)の乗った40代の中堅医師となり、相変わらずがん患者に向き合う日々を送っていた。医局で出世できるかどうかは、医師としての腕だけでなく、学会での論文の評価も大きく影響する。原は治療の傍ら、寝る間も惜しんで研究や論文執筆に取り組み、学界からの評価も高かった。

 キャリアを積み重ねていく一方で、原は従来の医学の価値観に対する違和感を膨らませていった。医学の進歩によって延命が可能になればなるほど、助けることのできない患者との向き合い方に悩むようになったのだ。

 そうした中、原は1つの家族との出会いによって新しい発見をする。

つらい抗がん剤の副作用に耐える男の子

 その日、阪大病院の小児病棟に、かわいらしい3歳の男の子が母親に付き添われて入院してきた。病名は、横紋筋(おうもんきん)肉腫。横紋筋と呼ばれる筋肉にがん細胞ができて広がっていく病気だ。15歳未満の子の生存率は、半分ほどしかない。

 原は検査結果を見て非常に厳しいと判断したが、できる限りのことはしようと覚悟を決めた。最初に行ったのは、薬物療法だった。物心ついて間もない幼児にとって、抗がん剤の副作用は想像を絶するほどつらい。案にたがわず、男の子の体中の細胞は破壊され、次々に襲ってくる痛みや苦しみにあえぎ、泣きじゃくった。

「しんどいけど、もう少しだからがんばろうな」

 原は抗がん剤が効くことを願ったが、まったくと言っていいほど成果は現れなかった。原はやむをえず次々と異なる抗がん剤を投与した。

 それでもがんは消えるどころか、あちらこちらに転移していく。もはや手の打ちようがなかった。