「息子も良い人生を送ることができたと思ってくれたはずです」
余命宣告から3カ月、男の子の容態が急変した。最後は病院に入院してもらい、必要最低限の治療だけすることになった。両親はずっと傍らに寄り添った。1週間後、ついに男の子の心拍が停止した。両親は不思議と晴れ晴れとした表情でそれを受け入れた。
両親は原に言った。
「おかげさまで、私たちがしてあげたいと思うことはすべてできましたし、どこへ行ってもこの子は見たことがないほど楽しそうに笑っていました。一生の思い出になりました。短かったですが、息子も良い人生を送ることができたと思ってくれたはずです」
原はこの言葉に天地がひっくり返るほどのショックを受けた。
これまではがんと闘って1日でも長く生きさせることが医師の使命であり、家族にとっての幸せだと信じていた。だが、それとはまったく異なるところに、家族全員が心から幸せだったと感じられる生き方があったなんて。目の前に、輝くような眺望が開けたような感覚だった。
小児医療の闇の中で見出した大きな光
原の言葉である。
「あの当時の医者の考えでは、10人中7人を助けられても、3人を死なせてしまえば、敗北でした。僕らはその壁を越えるために必死になって勉強して治療をしてきたけど、勝率を10割にすることはできません。それが悔しくて、申し訳なくて、毎日がものすごく苦しかったんです。
でも、あの親子に出会った時、そうした考え方が吹き飛びました。10人中3人を救えなくても、その3人が残された時間を良いものにできれば、勝率を10割にできたのと同じことじゃないかと思ったんです。長いか短いかのちがいはあれど、誰の身にも死は訪れます。ならば、それに抗(あらが)うんじゃなく、どこかの段階で受け入れて短くても素晴らしかったと思える人生にすればいいんじゃないか。
医者なら、それを切り替えるタイミングがわかります。ここから先は治療を最低限に抑えて、残された時間を有意義につかうべきだと言える。それに対するサポートもできる。そう考えた時、医者としてできることが何倍も広がったように思えました」
小児医療の闇(やみ)の中で原が見出(みいだ)したのは、大きな光だった。だが、同じような考えをもつ医師は皆無に等しかったし、病院の体制も資源も、それを受け入れる余裕はまだなかった。