『IQ140! インテリでボーイッシュなエロ頭良い帰国子女 スレンダー現役女子大生AVデビュー』――2023年に発売したデビュー作では、かつてないキャッチフレーズで話題を呼んだ、セクシー女優で翻訳家の水谷梨明日さん。
幼少期はどんな子供だったのか? 高い学歴を築きながら、なぜAVの世界に? 文筆家の寺井広樹氏の『高学歴AV女優』(彩図社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/続きを読む)
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アメリカ生まれ、イギリス育ち
――幼少期のお話から伺いたいんですけど、お生まれはアメリカなんですか。
水谷梨明日(以下、水谷) アメリカのボストンです。
――ちょっとハーフっぽいお顔立ちですけど、純日本人でしょうか。
水谷 そうです。両親は東京生まれで、幼少期に東京に戻りました。
――どんなお子さんでしたか。
水谷 よくしゃべる元気な子でした。幼稚園とか小学校低学年だと4月、5月生まれの子が元気でよくしゃべると思うんですけど、私も5月生まれで、そのパターンでした。東京の小学校に行って、小1から柔道を習っていて、男の子とも対戦してました。
――その頃から勉強は得意だったんでしょうか。
水谷 いえ、今も数学は苦手だし、当時から語彙は豊富だったけど、図形や空間把握能力はなかったですね。よくしゃべるし本もよく読むんですが、理数系は苦手でした。
――小学校から塾に?
水谷 小学1年から近くの学研の塾に行ってました。そのあと小学2年生の夏に父の転勤でイギリスに行きました。それまではよくしゃべってた子どもだったのに、英語を一言もしゃべれない状態で行ったので、全然違う性格になりました。向こうでは「すごく静かな日本人の女の子」と受け止められていたと思います。
――小2からいつまでイギリスに?
水谷 中学校1年生までいました。
――お父さんのお仕事はどういう関係なんですか。
水谷 商社に勤めている会社員でした。今はイギリスのメーカーに転職して、多分そっちで定年退職すると思います。母は主婦しながら、いろいろ面白いパートをしてました。デパートで実演販売をしたり、小さい社労士事務所で働いたり……。弟が1人いるんですけど、友だちの親からバイト代をもらって、弟と同じくらいの子のベビーシッターをしたりしてました。でも、私が学校から帰ると、いつも母は家にいました。子どもが家にいない時間に限定して働いていたみたいですね。