関西の有名私学在学中の2015年にデビューし、わずか3作で引退した桃園怜奈さん(28歳)。卒業後は一般企業に就職するも2年で退社してAV界に復帰し、ファンを歓喜させた。
幼少期はどんな子供だったのか? 有名私大のマンモス校に通いながら出演することに周囲の人はどんな反応を見せたのか? 文筆家の寺井広樹氏の『高学歴AV女優』(彩図社)より一部抜粋してお届けする。(全3回の1回目/続きを読む)
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小中学校は真面目に勉強して成績良好
――ご出身は兵庫県ですよね。じつは私も兵庫の出身なので、出身地が近かったらどうしようとドキドキしてました(笑)。幼少時のことから伺いたいんですが、どんなお子さんでしたか。
桃園怜奈(以下、桃園) 田舎の方で、ちょっと教育熱心な小金持ちが集まった住宅街みたいなところに住んでました。保育園時代から人見知りで人と話すのが苦手で、とくに男の子としゃべれなくて。大学に入るまで男子とはほとんど話したことがありませんでした。胸が小学校から大きかったんで、男の子からいろいろ言われて、それがすごく嫌でした。
――塾に通って勉強されてたんですか。
桃園 小学校のときから塾に通ってすごく勉強して、全国模試5位以内とか、中学校でも定期テストで学年1位とか取ってました。塾では成績が貼り出されるので、ほかの学校の子にも負けたくないし、先生に褒められたいので、頑張って勉強してましたね。
――塾には小学校何年くらいから?
桃園 小4からです。英会話は小1からです。親に通いなさいって言われたからじゃなく、周りもみんな習い事してたので、自分もやっとくみたいな感じで。合唱、バレエ、水泳もやってました。
――高校は進学校ですよね。高校でも成績はよかったんですか。
桃園 県で2位か3位くらいの進学校でした。高校からはちょっとやんちゃというか、ふざけた友だちとつるむようになってあんまり勉強しなくなりました。もともと小中でも派手な友だちが多くて、友だちに「あんた私たちとつるんでて、よくそんな勉強できるよね」って言われてました。でも隣の席に友だちがいるのは嫌でしたね。授業中に話しかけてきたり、手紙書いて渡してきたりして勉強に集中できないから。
――勉強が好きだったんですね。
桃園 勉強が好きっていうより負けず嫌いなんです。だから勉強し始めたらのめり込んじゃう。でも高校時代は、だんだん赤点を取るのがかっこいいんじゃないかって思うようになって、赤点ばっかり取ってました。
高校で転落するも一夜漬けで大学合格
――だけど、ご出身大学は関西の某有名私大ですよね。あそこは相当勉強しないと入れないんじゃないですか。
桃園 私けっこう一夜漬けタイプなんです。それで高3の夏ぐらいから塾に行ってガチで勉強し始めて、前期は全部落ちたけど、後期は全部受かりました。
――すごいです! その大学を選んだのは理由があったんですか。
桃園 母が同じ大学の出身で「すごくいいよ」って言われてたんです。あと、関西の私学の中では一番イケイケで、庶民的で遊べるイメージがあったので。高校までは周りは超真面目な子ばっかりだったので、はっちゃけたくて一番楽しそうな大学の、一番楽しそうな学部に入りました。
――入学されたのは商学部ですよね。商学部が一番チャラいんですか。